「いかに死ぬか」は、ひしひしと迫る問題。今は3か月に1回の通院くらいで元気に過ごしているが、私も夫も人生の季節は冬に差し掛かっている。

原作は、脚本家の故エマニュエル・ベルンエイムが亡くなった父親を書いた実話。出版された時にフランソワ・オゾン監督は、エマニュエルから映画化を頼まれたが断ったとか。そして年月を経て監督は親しい人々の別れを味わい、今なら撮れると感じたそうだ。


「すべてうまくいきますように」

https://ewf-movie.jp/

小説家のエマニュエル(ソフィー・マルソー)に、85歳の父アンドレ(アンドレ・デュソリエ)が脳卒中で倒れたという報せが届く。妹のパスカル(ジェラルディーヌ・ペラス)と病院に掛けつけると、アンドレは意識がなく医師から寝たきりになると告げられる。

意識を取り戻したアンドレは、エマニュエルに「終わらせてほしい」と頼む。もちろんエマニュエルはそんなことはできないと思う。リハビリを受けて椅子に座れるようになり、食事も自分でできるようになりと、徐々に回復していく。

しかし彼はそれでも死を願い、マニュエルに安楽死の方法を調べさせる。かなり好き勝手に我儘に生きて来た人生を愛しているからこそ、人の世話にならざるを得ない状態には我慢合出来ないのだろう。尊厳を持って死ぬのがアンドレの望みなのだ。

しかしフランスでは安楽死は認められていない。頑固なアンドレに頼み込まれ、エマニュエルは苦悩しながら弁護士とも相談し、スイスで安楽死が出来ることを告げる。救急車でスイスまで行き、自分の手で薬物を飲むことが条件だ。かなりの費用も掛かかる。

別居中の妻、彫刻家のクロード(シャーロット・ランプリング)は、見舞いに来てもすぐにかえってしまう。パーキンソン病と鬱を患うためか、ほとんど表情がない。エマニュエルの「なぜ、パパと別れなかったの」「愛してたの…馬鹿ね」と頬笑みが漏れるところにホッとさせられた。

一家揃って芸術や音楽に才能を示し、人手をかけてケアされて生きていくための充分なゆとりもある。それでもアンドレは安楽死を選び、予約を入れろという。「3月は私の誕生日よ」とパスカル、「4月初めの孫の演奏会は聴きたい」と、日は延びる。

馴染みのレストランで、エマニュエルと夫のセルジュ(エリック・カルヴァカ)と3人で、楽しく食事をするまでに回復したアンドレだが「最後の晩餐だ」と言い、「それでいつにする?」と安楽死の日を決めようと促す。

警察に通報されて、マニュエルとパスカルは窮地に追い詰められる。国境ではイスラムの運転手が、宗教上の理由でもう運転しないと言い出す。果たしてアンドレの望みは叶えられるのだろうか。警察に通報したのは誰か。この辺りはスリリングでもあった。
あのジェラールか? 彼はアンドレのゲイの恋人らしい? 

ソフィー・マルソーのインタビュー(ただしおまけのNGシーンは期待しない方が…)

「彼は人の指図を受け入れる人じゃない。病気によって人生を制限されるなら、死ぬことを選ぶ」

フランソワ・オゾン監督のインタビュー

「お金がなければ選べないんだ。それは不公平なこと」という言葉。映画でもこの話はあった。彼は安楽死の法整備を語る。

実話だけにリアリティがある。エマニュエルが父親の選択に従うべきか、悩み抜く姿に心の底まで揺さぶられた。


アンドレの気持ちは理解できるが、日本では安楽死は認められていない。息子たちに迷惑はかけたくないし心の痛みも与えたくない。せめて夫は看取った後でと思うが、これも分からないこと。

安楽死は果たして人生から逃げることなのか。痛いのは嫌だし、何年も寝つくのは苦痛だ。死の形も選べるものなら…と、つい思ってしまう。

一方、もし安楽死が可能になると、「なぜ安楽死をしないのか?」という見方が出てきてしまうだろう。

事実、「高齢者は集団自殺すればいい」という傲慢な発言があったそうだ。この方は、ご自分は何歳で自決なさるのかしら? 私は残念ながら見届けられないけれど、若い方々に、この人の最期まで見届けて頂きたいものだ。
かつて相模原市の津久井やまゆり園の、19人もの障害者を殺した残酷な事件もあった。

高齢者や体が動かない障害者に向けたこの発言や事件は、ナチスの優性思想そのものだ。日本は、こうした優性思想がまだまだ顔を出してくる。その続きに女性やLGBT等の人権問題もある。政治家の発言など酷いものだ。そんな国での安楽死の議論は、残念ながら危険極まりないものになるだろう。

やはり死に方を考えるより、つらくて大変であろうとも、生まれて来たからには、最期までより良い生き方を考えなさいということか。人生の冬の季節は厳しい…。