在米のある方のコロナ・ワクチン接種体験記の中で

会場に病院ボランティアがいたことを書いていらした。

 

その方から「病院ボランティアはどんなことをするの?」と、

お尋ねがあったので、書いておくことにしました。

「これは出来るな~」と思ったのは、ボランティアはたぶん、
受付で名簿との照らし合わせ、整理や誘導などはOK、
使用した薬瓶や注射器の片づけは訓練を受けないと無理かな。

で、私は30年くらい前に病院ボランティアを数年していた。

その前に、ボランティア・メンバーのことを。


5人の育児仲間がいて、子供がそれぞれ2人ずつ。
毎週1,2回、家をオープンして一緒に遊ばせ、ランチもした。

庭のある家が4人なので、雨の日だけマンション住まいのわが家。
クッキー作りや、家で遊べることを考えて楽しんだ。
用のあるお母さんは抜けてもいいが、基本は楽しくおしゃべり。

その他に1時間300円でノートを付けて、預け合いっこもしていた。
軽い怪我など小事故の責任も、親の行先も問わない、

親の行先は、買い物も、映画も、通院も何でもOK。

緊急連絡先だけは開示するなどの、ルールも作った。

 

婦人雑誌にも育児仲間の1つの姿として紹介された。

信頼関係がある、いい仲間で楽しいグループだった。


ある日、このグループを知った方から、

週2回の病院ボランティアを頼まれた。
あるおばあ様の食事介助。看護師さんの手が足りないそうだった。

 

5人の育児仲間のうち、可能な2人がOKして、

もう1人仲の良い人を誘い、3人で回した。

大学病院で、フロアの看護師長と打ち合わせをして始めたが、
そのおばあ様は半年くらいで亡くなり、

「形を変えて続けてほしい」と言われた。


病院として患者さんと接するベッドサイド・ボランティアは

初めての導入だった。

病室を回り、家族が来られない人の洗濯物を受け取り、

買い物を聞いて回る。洗濯機に掛けておいて、

病院内売店は高いので、外に買い物に出る。
乾燥器を掛けておいて、買った物を配りお金を受け取り、

洗濯物を配る。

失敗したのは、カップラーメンの注文が結構あり、

意気揚々と買っていったら、病院のご飯を

ちゃんと食べなくなるから、困ると言われてしまったこと。

困ったのは、お金を手に押し込んで来たり、お菓子を下さること。
お金はキッパリとお断りするけれど、

お菓子は「貰ってくれないと頼めない」という、
義理固いおばあ様などもいらして、

受け取らざるを得ないこともあった。

その他に、口述筆記を頼まれたり、朗読や、

小児科に回って子供の相手もした。お母さんが来られないから、

遊び相手をとのことで絵本やボードゲームをした。


摂食障害の娘さんの悩みや恋話も聞いた。

彼女は退院後、結婚して幸せそうな写真の葉書をくれた。

進行性筋萎縮症で話が出来なくなったお母さんは、

あいうえお表を作って話した。
私が指でさした行、字があっていれば、まばたきをする。

それで、けっこう会話が出来た。

あるとき「む・す・め・が・だ・い・が・く・に・は・い・つ・た」と。
「おめでとう、良かったね!」と一緒に喜んだ。

本当に嬉しそうなお顔だった。


2年後3人に色違いのスカーフが届き、

ご主人から亡くなったとの知らせがあった。

退院前に足を洗ったおばあ様には

「あなた、うちに来てくれない」と頼まれた。
社会医療相談室に行って、

そのおばあ様に支援が行く手続きをしてもらった。

私がフルタイムで仕事に戻ることになり、1人は赤ちゃんが出来、
1人はご主人が病院長で、ボランティアを組織することになった。

それで日野原先生が初めた病院ボランティア・スクールに

連絡を取り、卒業生に後を引き継いでもらうようにした。

訓練を受けた人たちだから、
私たち3人よりも、きっと良い仕事が出来たことだろうと思う。

ボランティア・スクールからも、

「ベッドサイドの要望はまだ少なく、卒業生たちが

学んだことを生かせるのは嬉しい」と喜んでもらえた。

今でも、その「病院の名前・ボランティア」で検索すると、
沢山のボランティアの募集がネットに出ているのは、とても嬉しい。
病院ボランティアの黎明期の、ささやかな思い出です。