ナンチャッテ××は若いうちは可愛い。
若気の至りとして笑い飛ばせば済む。
だが成人してからは、「少年」や「未熟者」として許される範囲は遥かに狭まり、就職活動でさえ、スキルが必要だ。ブラック企業でなければ大抵はスキルや人格や背景や必要な人材かどうかを総合的に判断して採用するだろう。
私は残念ながら就職活動で失敗し、自分の力を持て余し、せっかくの語学力を貢献できず、芸術家となった。ダウジングで訊ねると、誰かにヤクザレッテルを貼られ、皆怖くて私に近づかないらしい。はっきり言うが、ヤクザとは全く関係はない。ヤクザ飼いの誰かが私の人生を妨害しているだけなのだ。
よっぽど私が目障りなのか、そいつらは私の行く先々で友人知人を奪い、ヤクザの身を隠して私が恐いと演技するのだ。友人知人のふりした奴等のほくそ笑みを何度も見ている。
私は犯罪が大嫌いな人間であるため、ヤクザな奴等の天敵だ。天敵をやっつけようとするのは理解できる。大勢の正義感の溢れた人々同様、私も奴等の排除ターゲットなのだ。
それだけ理解できれば、自ずと真相に近づける。
私はナンチャッテ日本人でもナンチャッテ台湾人でもナンチャッテ沖縄人でもない。全てが私の人生を彩る要素で、ナンチャッテではない時間でその空気を吸って来た本物だ。子どものふりは、もうできない。