前回「浮世絵ならでは⁉ 雨を描く➁工夫がいっぱい!」では雨をどのような線を描いていたのか、どんな工夫をしていたのかをいくつか挙げていきました。
今回は浮世絵全体をながめてどのような雨の表現をしているのかを見比べていきます。
シルエットを見る
《東海道五拾三次之内 庄野 白雨》歌川広重 メトロポリタン美術館蔵
前回にもご紹介した歌川広重の『東海道五拾三次之内 庄野 白雨』です。濃淡の異なる二つの竹やぶのシルエットが描かれ、竹やぶを揺する風の強さや見通しの効かないほどの暗さ、竹やぶの深さなどが表現されています。
他の浮世絵ではどのようなシルエットが描かれているのでしょうか?
《名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい》歌川広重(二代) メトロポリタン美術館蔵
近景には桐畑の横を傘をさして往来する人々の姿がカラフルに描かれています。
中景には打ちつける雨の中、赤坂御門へと向かう坂を登る人々のシルエットが見えます。上の白雨に比べて人々の様子が落ち着いて見えるので、急な激しい雨ではなく一日中ずっと雨が降り続けていたのでしょうか?
遠景には二つの森のシルエットが描かれており、濃淡の違いが奥行きを持たせています。
太く黒い天ぼかしの下には藍色のグラデーションがかかっており、夜の訪れと雨天によって視界の晴れない様子が伝わってきます。
桐畑の上端を境にして、濃淡のみで描かれたシルエットとカラフルに描かれた近景が対極的であり、全体を眺めたときに遠近感をさらに引き出しているように感じられますね。天ぼかしから下へと目を移していくと、濃→薄、濃→薄と繰り返しており一つ一つの対象が引き立っています。
《東都名所 日本橋之白雨》歌川広重 メトロポリタン美術館蔵
「白雨」とはにわか雨のこと。雨を現す線はまばらであり雨脚がさほど強くない事をうかがえます。
遠景には富士山がかすんでいます。森や竹やぶなど近い距離のシルエットが描かれた今までの浮世絵と比べて、日本橋から見た富士山というより遠くの被写体のシルエットを用いることで視界がまだ保てれている程度の雨であることが分かります。ふもとが黄色くぼかされて晴れ間が見えていることから局所的なにわか雨なのでしょう。
しかし、雨の日にここまではっきり富士山が拝めるでしょうか?……
言い換えるなら、天候に左右されない富士山の姿の雄大さを表現しているのかもしれませんね。
また、かすんだ富士山のシルエットを近景と比較したときに空気遠近法のような効果をもたらしています。空気遠近法とは大気中のチリや水蒸気などによって遠景が白くかすむことです。ミー散乱というのだとか…
下の写真を参考にしてみてください。
高遠より中央アルプスを望む
地面を見てみる
雨が降ると道には水たまりができ、地面がぬかるみますよね。
そのような描写が浮世絵には見られます。
《木曽海道六拾九次之内 須原》歌川広重 メトロポリタン美術館蔵
道具を頭にかぶって慌てて辻堂(道端の仏堂、休憩所)に逃げ込む駕籠かき達。中では虚無僧や旅人が一足先に休んでいます。
遠くにもうなだれて雨中を急ぐ人々のシルエットが見えます。
駕籠かき達の足元の地面を見てみると、辻堂の周りと比べて湿気を帯びたような色にぼかされています。
《京都名所之内 糺川原之夕立》歌川広重 メトロポリタン美術館蔵
簾のめくれる様子や、粗密の繰り返される線で風雨の激しさが感じられます。
川床を出す茶屋に駆け込む人々と中で休む先客の構図は先ほどと一緒ですね!
また、この作品でも川に面した路面に色が付けられ、そのぬかるみが分かります。
《東都御厩川岸之図》歌川国芳 メトロポリタン美術館蔵
一つの傘に三人で入る人々、傘を持っていなかったのかあきらめているような表情の人、他の人に渡すためか自らも傘を差しながら三本の傘を抱える人。言葉の通り三者三様を呈していますね!
では足元を見てみましょう。河原の砂利がところどころ黒く描かれ濡れている様子が分かります。よく見てみると、地面を跳ね返ったしぶき雨が白く跳ね返っています。太い天ぼかし、そこから降りる帯状に描かれた雨と合わせてその激しさが感じ取られます。
《高祖御一代略図 文永八鎌倉霊山ヶ崎雨祈》歌川国芳 メトロポリタン美術館蔵
文永八年(1271年)六月、厳しい旱魃が起こり雨が一切振りませんでした。 鎌倉幕府は雨乞いの名人「良観房 忍性 」に祈祷を命じましたが、 その効果は得られませんでした。実はこの時、良観は水と油の関係にあった法華宗の日蓮と雨ごい勝負をしていたのです。良観の雨ごいの失敗を受け、日蓮が代わって祈祷を行ったところ三日三晩も雷雨が降り続いた、とされるシーンです。
粗密の繰り返される力強い線が雨の激しさを物語っています。線の太さから大粒の雨であることが感じられます。波は荒れ狂っていますね。
見やすさのため、シカゴ美術館所蔵の刷りの色が薄かったものを拡大しています。
崖の岩肌を拡大して見てみましょう。
打ちつけられた雨が激しく跳ね返っている様子が見て取れます。一つ前の《東都御厩川岸之図》ではぼんやりと描かれていた雨の跳ね返りがこの作品でははっきりと線で描かれており、雨の強さをより感じさせるとともに日蓮の信仰力の強さを物語っています。
水面を見てみる
雨が降って変化があらわれるのは何も地面だけではありません。今度は水面に注目してみましょう。
《五月雨の景》歌川国貞 メトロポリタン美術館蔵
前回も紹介したこの浮世絵。手前の池の水面を見てみると多数の波紋が描かれています。ぽつぽつとした雨ではなくやや強い雨なのでしょう。しかし、男性が池で作業を続けていたり女性が天を見上げている様子からは、雨があまり激しくはないであろうことが想像されます。
《東海道五拾三次之内 土山 春之雨》歌川広重 メトロポリタン美術館蔵
「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」と鈴鹿馬子唄に唄われる土山宿。
傾きの異なる二種類の線を無数に用いて雨脚の強さを表現しています。
画面右側に描かれた田村川の水かさが増しており、ベロ藍によるグラデーションがその勢いを物語っています。
川にかかる橋を渡る大名行列の先鋒もうなだれています。長旅の最中に強い雨に打たれ疲れ切ってしまっているのでしょう。
これも雨の表現⁈
ここまで雨を直線であらわした絵を見てきましたが、逆に線を使わない表現はないのでしょうか?
《霧中ノ山水》歌川国貞 メトロポリタン美術館蔵
まず初めに、この絵は決して刷りが荒かったり保存状態が悪いのではありません!複数の作品を見てみましたが、全てこのような刷りでした。
霧に煙る御茶ノ水近辺を濃淡を活かしたぼかしで表現したものです。
少しわかりづらいですが、川沿いに降りる道(画面中央よりやや右の白い部分)やその道を降りる人々、横付けされている船(画面中央下部に道を降りた川の中)が描かれています。
《冨嶽三十六景 山下白雨》葛飾北斎 メトロポリタン美術館蔵
富士山を空の上から俯瞰した図です。飛行機に乗って富士山を眺めているとイメージしてみてください。
山麓には黒く塗られた厚い雨雲と鋭く光る稲妻が描かれています。
山頂が雲にかぶらない富士山の雄大さと裾野での雷雨の激しさの想像を掻き立てられます。
さいごに
皆さんはペトリコール(petrichor)という言葉をご存じですか?
雨が降ったときに地面から上がってくる独特な匂いを指すギリシャ語で、「石のエッセンス」を意味するのだそうです。この記事を書いている最中も雨が降っていることが多く、描かれている場面も同じような匂いがするのかな?と想像を膨らませておりました。
ちなみに雨上がりの少しカビ臭いにおいはゲオスミン (geosmin)というのだとか
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