孫文と日本、蒋介石と日本、李登輝氏と日本、黄之鋒氏と日本 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 僕が生まれ育った姫路市がある兵庫県は、その北部は日本海に、その南部は瀬戸内海に面し、更に、その最大の島である淡路島の南部は太平洋に面しています。

淡路島と本州側の間の海峡は、明石海峡と呼ばれ、今では、明石海峡大橋が架けられていて、その明石海峡大橋の、本州側の最も海岸寄りにある橋脚の東側すぐ近くに、六角形の外観が特徴的な建物が、ございます。文部科学省により「国の指定重要文化財」に指定されている「移情閣」と呼ばれる建物で、現在は、孫文記念館として使われています。

 

 なぜ、明石海峡大橋の本州側の橋脚の、市町村で申し上げれば、神戸市の垂水区に、孫文記念館があるのか。中華民国の国父、孫文(1866年生まれ、1925年逝去)は、その生涯において、危険から逃れるために、幾度となく日本を訪れていて、1913(大正2)年3月14日に神戸に来られた際に、この移情閣で、有志によって歓迎の昼食会が催された、などの縁があるからだそうです。

 

 中華民国の軍人、政治家の蒋介石(1887年生まれ、1975年逝去)は、若き日に、東京振武(しんぶ)学校という、大陸からの留学生のための軍人養成予備学校で、学ばれたそうです。そして、1988年から2000年まで、中華民国の総統を務められた李登輝氏(1923年生まれ)は、若き日に、京都帝国大学で学ばれたそうです。

 

 孫文が、その生涯において、危険から逃れるために、幾度となく日本を訪れ、日本人が孫文を支持、支援したように(梅屋庄吉日比谷松本楼)、黄之鋒氏(1996年生まれ)や周庭氏(1996年生まれ)などの香港の若者が、将来、危険から逃れるために日本を訪れ、日本人が支持、支援するようなことも起こり得るかも知れない。そのようなことを思いながら、週末を過ごしています。

 

日本人支持香港的自由、日本人支持香港的普選。

 

 

神奈川県横須賀市にて

佐藤 政則

 

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