「低金利、ゼロ金利、マイナス金利」の後、どうすべきか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 米国の低所得者向け住宅金融商品「サブプライム・ローン」を巧みに組み入れながら、その信用度の低さが顕在化しないように装飾した金融商品。その販売にのめり込んだリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)社が破綻したのは、今から約8年前の2008年の出来事。以後、主要国首脳会議(summit meeting)における初回からの参加国(日米英仏独伊)は、それぞれ、自国の輸出産業の競争力を向上させようとして、自らの通貨である、円、ドル、ポンド、ユーロの金利を下げ続けてきました。その結果、「通貨安競争」という言葉が産み出される、異常な状況が続いています。

 各国の、行政府の長も中央銀行の長も、近視眼的な思考にどっぷりと浸かっていて、その異常さに気付かないのか、もしくは、気付いていないふりをしているのかは分かりませんが、金利を少し下げただけでは、想定通りに、「自国の輸出産業の競争力を向上させ、相応の経済成長を成し遂げる」という経済運営ができないことが分かり、ゼロ金利、そして、部分的に、マイナス金利へと、突き進んでいきました。
昨年末に、米国の連邦準備制度理事会(FRB)は、この流れを変える試みを始めたようですが、市場は、ジャネット・イエレン(Janet Yellen)FRB議長の想定通りには、動いていないようです。

 約一世紀前、第一次世界大戦後の復興景気の中で、「通貨不足」が生じ、通貨供給量(money supply)を増やすために、各国は相次いで、金本位制から離脱していきました。以後、紆余曲折を経て、1971年に、ニクソン・ショックと呼ばれる「ドルの兌換(=金との交換)停止」、1973年に、主要通貨の完全な変動相場制への移行が、実行されました。
戦後、金融市場が、整備され拡大を続け、投機取引(speculative trading)の規模も、物凄い勢いで、拡大を続けました。戦後、実体経済も、もちろん、成長し拡大しました。しかし、投機取引の規模は、それ以上に拡大し、今も、拡大を続けています。その結果、通貨当局が、いかなる金融政策を実行しても、その効き目は限定的なものになり、「通貨当局の金融政策によって、政策目的を達成することは、不可能になった」と、僕は、確信しています。

 投機取引を、部分的に制限し、それにより得た資金を、実体経済に還流させる。現在の通貨は、金(きん、ゴールド)などとの繋がりが全くない、法定通貨(日本銀行法46条2項)です。「法定通貨は、実体経済のためにこそ、存在している」ことを踏まえ、各国政府は、金融市場最優先ではなく、実体経済最優先の経済運営を、すべきである。僕は、そう思っています。


兵庫県姫路市にて
佐藤 政則