奇妙なダムと、戦後の高度経済成長と、我が自民党 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 今は、どうなのか分かりませんが、僕が小学生の頃は、町内会の活動が活発で、町内会主催の催しが、沢山ありました。バス旅行、運動会、映画鑑賞会、それに、歩こう会という皆で連れ立って歩く企画も、ありました。その歩こう会で、今、思えば、世にも珍しい景色を見ました。

 ダムというものは、大抵、山奥にあります。僕が生まれ育った姫路市南西部は、播磨平野の一部であり、大きな山などありませんし、大きな川もありません。にも関わらず、僕が小学生のときに参加した町内会主催の歩こう会で歩いて行った先には、ダムがありました。Googleマップで見てみると、姫路市とお隣の太子町の境界線を挟む形で、桜山貯水池という池があり、この池は、そのダムによってできたダム湖です。

 瀬戸内海沿岸は、北は中国山地、南は四国山地に挟まれる格好になっており、とても雨量が少ない地域です。赤穂(あこう)の塩や、伯方(はかた)の塩など、塩づくり、製塩が盛んな町があるぐらい、雨量が少ない地域です。なのに、なぜ、姫路市南西部に、ダムが造られたのか、そして、そもそも、ダムに貯えられている水は、どこからやってきたのか。
このダムは、「現在の新日鉄住金広畑製鉄所に、年間を通じて安定的に大量の工業用水を供給する」ことを唯一の目的として造られたダムで、水は、雨水を貯めた訳ではなく、直線距離で約4km離れた揖保川(いぼがわ)から、わざわざ動力を用いて取り込んで、貯められています。

 僕は、そういう製鉄所がある臨海工業地域と山陽新幹線に挟まれた区域で、生まれ育ちました。戦後の高度経済成長を主導した政党が、自民党であることに、異論を挟むお方は、あまり居られないのではないでしょうか。僕は、生まれてから今まで、自民党以外の政党を支持したことは一度もありませんが、自民党の現状に関して申し上げれば、大変不甲斐なく思っております。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則