ペンは剣よりも強し(The pen is mightier than the sword.)という言葉があるそうですが、その一方で、言葉を含む記号それ自体は、もろく儚(はかな)いものだと、思うときがあります。「権利を保有している」ことと、「その権利を行使するための身体的能力、もしくは、精神的能力を持ち、その権利を行使できる環境に存在する」こととは、全く別の話です。
早い話が、いくら「あなたは生存権を有していますよ」と言われたところで、未来永劫、生き続けることができるはずはなく、現実原則に従う日が、早晩、訪れます。また、至近距離に爆弾が飛んで来れば、いくら「俺には、生存権があるって話じゃないか。生存権があるんだから、政府は、俺が生存するのに必要な諸条件を確保してくれるに違いない」と叫んだところで、至近距離に爆弾が着弾することを阻止することは、たぶん、できないと思います。
大人気ないことなので、どの政党の方のことだとは申し上げませんが、たまに、駅前などで、どなたかが拡声器を使い、「私は正しいことを言っているんです」と言わんばかりに、声をからして叫んでおられるのに遭遇し、その拡声器越しの声が、否が応でも、耳に入ってくることがあるのですが、そのようなとき、上述のように思う次第です。
先の大戦において戦闘行為が終結してから、71年。そして、今月の28日になれば、サンフランシスコ条約が発効し、制限されていた我が国の国家主権(sovereignty)が回復してから、64年。因みに、その翌日、第66回殉国七士墓前祭が、愛知県の三ヶ根山山頂付近で、執り行われるそうです。
毎年、「これでよいのか、よい訳がない」と思いながら、何もできない自分。忸怩(じくじ)たる思いを感じるばかりです。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則