あれっ、暦を見れば、明日は、もう啓蟄。ということは、既に、3月2日は過ぎています。自称インタビュー屋であり、かつ、自称ミステリーの読み屋、また、昭和ヒトケタの浜っ子で、横浜翠嵐(すいらん)高校では、直木賞作家の生島治郎さんと同窓のコラムニスト、青木雨彦さんが永眠されてから、この3月2日で、ちょうど四半世紀が過ぎ去りました。
青木さんのご実家は、金物店を営まれていて、青木さんの文章によると、あるとき、「お父様が、店にある『Made in Japan』と刻印されている南京錠を、横文字が刻印されているという理由で、てっきり、舶来品だと思い込み、お客さんに『舶来品の南京錠だよ』と言って、大恥をかく」という出来事が、あったそうです。
当時は、「商売人に学問は要らない」という時代で、進学を諦めかけていた、青木少年。「これからの時代は、商売人も、『Made in Japan』ぐらいは読めないと、やっていけない」と、お父様が思われたかどうかまでは、手元にその書籍がないので調べようがありませんが、青木少年は、無事、進学を許されたそうです。
そして、3月2日の次の日、3月3日という日付けは、僕にとっては、中学受験をした日の日付けです。ほんの少しですが、「あのとき、ああしていなければ、別の人生があったのではないか」というような思いを起こさせる日付けです。
子供だったので、言われるがままに勉強をし、結果だけ見れば、その入試で合格したので、「親の心を解さない不埒な輩だな」と言われても仕方がないのですが、つい、上述のような思いにかられることが、ごく稀にあります。と言っても、僕は、責めるときは自分を責める質なので、親を責めたことは、そんなにはありませんが。
カトリックの学校に入学し最初の英語の授業で、先生が、「みんなは、アルファベット、どれくらい知っているかな」と問いかけたとき、周りは「アルファベットぐらい、知ってて当然」という顔ばかり。少なくとも、そのときの僕には、そう見えました。「小学校の国語の授業で、ローマ字ってのが存在することは習ったけど、そのとき、先生は、『英語は、中学校に上がったら習います』って、言うてたやん。小文字なんて、似たようなのばかり。書ける訳ないし読める訳ないやん」と、心の中で叫んでいたように、記憶しています。
「育ちがいい人には、かなわないな」と思わないでもないですが、こちとら、まっすぐに育たず、ひねくれて、よれてねじれて育った分、結果的に、様々な角度から(と言っても、大抵、下の方からですが)、物事を眺める機会に恵まれました。有り難いことだと、今になって思います。
上記のリンク先に、青木さんの「受賞の言葉」が載せられているのですが、青木さんのように、簡潔で洒脱な文章が書けなくて、大変申し訳なく思う次第です。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則