言葉が出てこない、適切な言葉が、さっきから、なかなか出てこない。"Frame of reference"に対する適訳の日本語の語彙が、出てこない。
昔から今に至るまで、行き詰まることが多いせいか、いつの頃かは定かではないですが、恐らく学生の頃、行き詰まって、二進も三進もいかなくなると、「前につんのめっていて姿勢が悪く、視野が狭くなっているからかな。一旦、後ろに下がって、視野を広げ、もう一度、最初から考えてみなさいってことかな」と、思うようになりました。
そんな折、確か、講談社現代新書の本を読んでいて、"frame of reference"という言葉を知り、「アー、視覚だけでなく、頭が扱う情報全部(言語、非言語を問わず)に関して、ライトの当て方が偏っていないか、注意しなきゃいけないんだな」と思いました。
オッカムのかみそり(Occam's razor)を、どこかに置き忘れ、複雑さの中で、益々、即物的になりつつある現代人。もちろん、政治家も然り。可能な限り、"frame of reference"を広げていただきたいものです。
JR横須賀線の車内で、タブレットのメーラーを使って、この投稿を書き始め、現在、空港に向かうバスの中。道中、インターネット接続ができるところがあればそこで、アップロード致します。
千葉県成田市にて
佐藤 政則