その昔、鴨長明(かものちょうめい)という日本人が、「行く川のながれは絶えずして、しかも本(もと)の水にあらず」と書き綴ったそうですが、無常の世にあって変わらぬ姿をとどめるためには、経年変化した部分を再生させていくという営みが、大切であるということでしょうか。
先日、JR横須賀線の鎌倉駅から走り始め、若宮大路を南下した後、海岸沿いの国道134号線を西進し、体調が良かったのか、結局、辻堂海浜公園を経由して、JR東海道線の辻堂駅で、走り終えました。
鎌倉駅の現在の駅舎は、先代、先々代の駅舎の面影を残した、三代目の駅舎だそうです。まぁ、横須賀線の駅の駅舎は、どれも、今風の設計、装飾のものではなく、単線区間にある衣笠駅の駅舎などは、国鉄時代とあまり変わらず、昭和の香りを感じさせてくれます。僕は、吉田拓郎さんが仰るところの「古い水夫」、もしくは、昭和の人間なので、衣笠駅を利用する度に、「ここに昭和あり」と感じます。
辻堂駅で乗降したのは、しばらくぶり。以前は、「プラットフォームの幅が狭い、こじんまりとした駅」だったと思うのですが、駅の北側には、今風の大型の商業施設が並び、駅と直結されていて、駅舎も様変わりしていました。昭和の人間にとっては、なんだか「居場所がない」といった感じ。
旅先で見た「鉄道がある風景」を、当ブログのヘッダーに掲げているのですが、「姫路城と、JR姫新線のプラットフォーム」に、変えてみました。変わらないために修理された姫路城と、様変わりしたJR姫路駅。皇紀2675年、平成27年、昭和は、益々、遠くなりました。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則