自衛隊の装備と警察官及び皇宮護衛官のけん銃の、存在理由 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 ルソーという名前を聞いて、『孤独な散歩者の夢想』を思い浮かべる方もおられれば、『社会契約論』を思い出す方もおられるだろうし、「えっ、ルソーって、誰。ソフィー・マルソーなら、知ってるよ」と仰る方もおられると、思います。

 僕が高校生のときの教科書には、確か、トマス・ホッブズの『リバイアサンLeviathan』や、ジャン-ジャック・ルソーの『社会契約論The Social Contract』も、載っていました。もちろん、学校の授業というものは暗記が中心なので、深入りはせず、それらの人名や書籍名を、さらっと覚えさせられただけでしたが、子供ながら、「西洋という所は、何だか、おどろおどろしい所だな」と感じたように、記憶しています。

 統治する者がいない状態、いわゆる自然状態では、個々人が、「俺が俺が、我(われ)が我(われ)が」となり、争いが絶えないので、関係者全員の合意に基づき、「国家が暴走しないような手立てを講じた上で、国家のみに、絶対的な強制力、つまり、権力を付与する」ことにより、安心して暮らせる社会を作り維持しましょう。
社会契約とは、かなりざっくり言えば、そういう観念的な(theoretical)契約のことでしょう。

 人類は、煩悩と無縁ではありません。なので、僕は、かつて、列強と呼ばれた国々が、中東の地で行ってきたことを、全否定する積もりも、全肯定する積もりも、ありません。ただ、「社会契約に基づき、絶対的な強制力が付与されたはずの国家」が、強制力を失い、成らず者と、法律の外側で交渉するようであれば、「その国家は、国家として落第である」と、言わざるを得ません。
国家が保有する武器は全て、自衛隊の装備も警察官や皇宮護衛官のけん銃も、成らず者と交戦するためだけに、存在しているのですから。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則