かつて、米国のジョージ・H・W・ブッシュ(いわゆるパパブッシュ)政権が、1989年の、ベルリンの壁が破壊され始め実質的に崩壊した月の翌月に、パナマへの侵攻を開始したときも、そして、ロナルド・レーガン政権が、1983年に、カリブ海に位置するグレナダへの侵攻を開始したときも、侵攻する理由のうちの一つとして、かなり強引ですが、「在留米国人の保護」を、挙げていました。
両事変とも、ソ連が崩壊する前、つまり、米ソ冷戦時の出来事であり、米国が、侵攻理由の一つとして「在留米国人の保護」も掲げたことは、もちろん、単に、人道主義を演出したに過ぎませんが。
両事変よりも、さらに昔、1970年に、日本航空の航空機が、航行中に共産主義者同盟赤軍派に乗っ取られ、乗客が人質に取られるという事件がありました。その際、日本国政府は、どのようにして、人質となった乗客の解放を実現したのか。
当時36歳で、運輸政務次官であった故・山村新治郎衆議院議員が、韓国の金浦空港で、身代わりとして新たに人質となり、それと引き換えに、乗客の解放が行われたそうです。
現行の法令や憲法の条文のうち、占領時の統治体制に合うように制定された条文を、占領が終わり、制限されていた日本の国家主権が回復してなお、後生大事に改めないことが、どれほど、日本の国益を損ね、日本国民の生命と財産を危険にさらしてきたか。そして、今現在、さらし続けているか。
日本国政府に、在留邦人の生命を守る意思があるのか。そして、在留邦人の生命を守る能力が、本当にあるのか。今般の事案において、それが厳しく問われているように思います。
一日本国民として、関係者のご努力を静かに見守り、同胞の無事を祈ることしかできず、申し訳ない限りです。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則