高齢になられてから皇位を継承されることの、過酷さ | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 私のような者が、皇室に関することを書きますことは、大変、畏れ多いことではありますが、今回は、生臭い政治の話題から離れ、天皇陛下と御年齢(=聖算)に関し、書かせてください。

 神奈川県の三浦半島の西側、相模湾沿いには、葉山御用邸があり、そのすぐ北側には、現在、葉山しおさい公園があります。私は、その辺りをジョギングする際、その公園の入り口にあるベンチで一休みさせていただくことがあるのですが、そこには、「大正天皇崩御・昭和天皇皇位継承之地」と刻まれた石碑と、そのことに関する説明文が書かれた板が、あります。大正天皇が、1926(大正15)年12月25日未明に、この地で崩御され、昭和天皇が、同日未明、同地にて、皇位継承の儀式に臨まれたとき、昭和天皇は、25歳だったそうです。

 三浦半島の東側、横須賀市の田浦には、三浦半島でただ一つの梅林「田浦梅の里」があります。この梅林の歴史は、1933(昭和8)年12月23日に今上陛下(昭和天皇第1皇男子)がお生まれになったことを記念して、1934年に、山の所有者である石川金蔵さんを中心とした地元の人たちによって梅林組合がつくられ、700本の梅を植樹したことに、始まるそうです。昭和天皇が、1989(昭和64)年1月7日早朝に、吹上御所において崩御され、今上天皇が皇位継承の儀式に臨まれたとき、今上天皇は、55歳だったそうです。55歳という年齢は、昔であれば、老齢の年金の支給が開始される年齢です。

 お生まれになったその日から、55年間、皇位継承に備えられ、55歳からは、ずっと期限無く、重責の中で過ごされる。このことが、とても過酷なことでありますことは、私のような者であっても、想像し得ます。昨年の「天皇陛下お誕生日に際しての記者会見」において、陛下は、「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。」(抜粋です。全文は、こちらへ)と、述べておられます。

 55歳。来年の2月23日を迎えれば、皇太子殿下は、55歳になられます。日本国憲法5条に基づく摂政について、議論をすべきではないでしょうか。私は、そのように思っております。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則