近代憲法の中に「戦争の放棄」という章があることの、奇妙さ | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 選挙で大勝した直後という時期は、重大で、かつ、世論を二分するような案件を前に進めるための、数少ない好機のうちの一つではないでしょうか。そういう意味で、2013年の下半期は、初めての憲法改正を確実なものにするための、千載一遇の好機だったと、僕は思っています。

 その好機を逸したことや、そもそも、今般の安倍晋三内閣も、「選挙という戦いの場で戦う前から他の政党と手を繋ぎ、誕生した内閣」であることなどを、考え合わせれば、自民党が、安倍晋三内閣で、立党時以来の大願である憲法の改正を、実現させることは、非常に難しいと言わざるを得ません。が、好機は寝て待つものでもございませんので、もう少し、憲法の改正について書かせていただきます。

 近代憲法の最も重要な役割は、多くの権限を得て肥大化した政府が暴走し、国民を圧迫しないよう、歯止めをかけることです。漫然とではなく、そういうことを念頭に置きながら、日本国憲法を眺めていただけますでしょうか。
近代憲法の中に、わざわざ、「戦争の放棄」という章があることは、実は、かなり奇異なことです。そして、近代憲法の中に、「陸海空軍その他の戦力は、保持しない。交戦権は、認めない」という文言があることは、もっと奇異なことです。この文言は、「何があっても、外敵が侵入してきても、交戦しないし、そもそも、交戦するのに必要な戦力は持ちません」と、言い切っているのに等しいですので。

 初めての憲法改正を確実なものにするためには、改正点、変更点を、可能な限り絞り込むべきでしょう。日本国憲法の各章に、改正すべき部分があろうかと思いますが、それらを、どう絞り込み、具体的に、どう修正するべきか。長くなりましたので、今回は、ここで切らせていただきます。
なお、今週末、関西方面に出掛けることを予定しており、場合によっては、投稿が滞るかもしれませんが、よろしくお願いします。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則