阿漕(あこぎ)な行いを重ね、その結果、何かを得て有頂天になり、我が世の春を謳歌したとしても、そういう春が、世代を越えて続くほど、現世は、甘いところではない。四十数年生きてきて、僕は、そう確信しています。
東北地方太平洋沖地震の後、巨大な防潮堤や防波壁が、話題として、マスコミで最初に大々的に採り上げられたのは、浜岡原発の運転停止のときだったように、記憶しています。内閣総理大臣の要請に基づく運転停止で、今もって、事の真相が審(つまび)らかにされたとは、到底思えません。
(ご参考まで。小ブログの、2011年5月12日の投稿へ。)
「核分裂などに伴って大量に放出される原子力と呼ばれるエネルギー」を利用する技術は、同時に放出される放射性物質と呼ばれる有害物質を処理する方法が確立されていないので、研究段階の技術、未完成の技術であり、未だ、実際の使用に供して良い技術でないことは、明白です。
同時に放出される有害物質を処理する方法が確立されていないので、とりあえず、容器の中に閉じ込め、その容器を地中に置きっ放しにし、その処理を後の世代に丸投げしてまで、自己の利益や自己の快楽を追求する。これを非道と呼ばずして、何を非道と呼ぶのでしょうか。
本題から、逸れてしまいました。「津波によって、全電源を喪失したので、今後は、そういう事態に陥らないよう、より巨大な防波壁を設置しました。なので、もう、同じ過ちは繰り返しません。ご安心ください」と、中部電力は仰りたいのでしょうか。電気系統は、波の直撃に耐えられなかったのか、もしくは、津波による浸水に耐えられなかったのか、それとも、その両方の組み合わせなのか。そういうことを精査した上で、防波壁が設置されたのでしょうか。どうなんでしょう。
津波襲来時の波は、場所にもよると思いますが、地下深くまで基礎工事を行った鉄筋コンクリート構造の建物を破壊するほどの激流ではなかったと思います。そして、浸水に関しては、台風時などの洪水による浸水と比べれば、短時間で水が引き、水位が元に戻ったように、思います。
防潮堤や防波壁の、経理上の、ではなく実際の耐用年数が、どれほどなのか分かりませんが、その防波壁や防潮堤に関し、まだまだ、書き進めたく思っていますので、一旦、ここで切り、続きは、次回に先送りさせてください。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則