建国の前と後、国共内戦と文革で何万人の中国人が殺されたのか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 「国を思う」とか、「国を憂う」という表現がありますが、国、国家とは、一体、何でしょうか。国家の三要素(3 elements of statehood)として、領域(territory)、主権(sovereignty)、人(individual)の三つが、挙げられているようです。この三つは、単に並列して存在するものではなく、この三つのうち、最も主要なものは、もちろん人です。人こそが、領域において主権を行使する、主権の担い手であり、「国を思う」とは、第一義的には、「国民を思う」ことだと、僕は思っています。

 そもそも、中華人民共和国は(ロシア連邦もそうですが)、一つの国家なのでしょうか。中国は、形式上は、多くの省、そして、直轄市、自治区、香港、澳門からなる、単一の国家だそうですが、その政治体制は、事実上、一党独裁であり、中国共産党が、中国共産党に対し異議を唱える者を押さえ込み、単一国家だと、言い張っているに過ぎません。

 建国前は、中国国民党と、激しい、内戦という戦争をして、従わない者を殺害し追い出し、建国後は、『無産階級文化大革命』と称して、やはり、従わない者を、次々と殺害していきました。殺害された人の数は、諸説ありますが、いずれにせよ、とんでもない数の人が殺害されたことは、中国共産党党員でさえ、否定できないでしょう。

 歴史を振り返れば、「殷、周、春秋、戦国、秦、前漢、新、後漢、・・・」と、学生時代に世界史を取っていた方なら、いやいや覚えさせられたことが、お有りと思いますが、中国の歴史は、王朝変遷の歴史。
北からやって来た者が戦争に勝ち、建国。やがて滅び、次は、南からやって来た者が戦争に勝ち、建国。やがて滅び、次は、西からやって来た者が・・・。

 つまり、政治的には、連続性(continuity)は全くなく、政治史上は、中国と一括りにすることすら憚られます。常に、他所からやってきた誰かが建国し、やがて滅ぶ。東からやって来た者が、おおよそ、万里の長城より北側において、満州国を建国し、近代化を押し進めました。『何やら文化大革命』などと称して、従わない者を、次々と殺害するような非道は、もちろん、行っていません。

 そもそも、一つにまとまって近代化を進めることができない地域で、新しく国を建て、近代化を押し進めることは、断じて侵略ではないと、僕は思っています。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則