まず、訂正からです。前回の投稿の第2段落で、「2年4か月後」とすべきところを、「1年4か月後」と、しておりました。特に、数字には気を付けるようにしている積もりですが、申し訳ございません。既に訂正し、訂正部分は、文字色を赤にしました。
「片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」と書いたとき、芭蕉は、何歳だったのでしょう。先週末の17日と18日は、元々、姫路に帰郷する計画を立てておりました。漂泊の思い止まず、大型連休明けになって、急きょ、奇縁を感じ、17日の酒米『蔵の華』の田植えに参加させていただくために、気仙沼に伺うことに致しました。
本来、芭蕉に倣って、自分の足で行くべきかもしれませんが、そういう訳にもいかず、鉄道、レンタカー、航空機などを利用して、二日と半日で、横須賀、一関、気仙沼、石巻、仙台、そして、神戸、姫路、横須賀と、移動致しました。漂泊者と言えば、根無し草を連想されるかもしれませんが、「漂っているということは、沈んでいないということ」と、解することもできるのではないか。僕は、そう思っています。
無常の世にあって、全てのものは移り変わるので、心にこそ根を待ち、日々、与えられるもの、環境、機会、試練、恵み等々に、真摯に向き合い、または、寄り添い、時流に流され過ぎず、かつ、逆らい過ぎず、これからも、日々、思い考えていることをしたため投稿させていただこうと思っておりますので、どうぞ、宜しくお願いします。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則