日本列島(the Japanese Archipelago)は、今も、東は占守島(しゅむしゅとう)から、西は与那国島(よなぐにじま)までであると、僕は、思っています。もちろん、今現在、その全てに、日本の国家主権(sovereignty)が及んでいるなどと、思っている訳ではございません。
日ソ中立条約は、第4条までしかないので、まずは、条文の部分を全て、引用させていただきます。1条は、概論、要約のようなもの、そして、4条は、批准の手続きに関するものなので、主要部分は、2条と3条です。お時間のない方は、3条だけ、お読みください(なお、句読点は、僕が付加したものであり、原文に、句読点はありません)。
第1条
両締約国は、両国間に平和及友好の関係を維持し、且つ、相互に他方締約国の領土の保全及不可侵を尊重すべきことを、約す。
第2条
締約国の一方が、一又は二以上の第三国よりの軍事行動の対象と為る場合には、他方締約国は、該紛争の全期間中、中立を守るべし。
第3条
本条約は、両締約国に於て、其の批准を了したる日より実施せらるべく、且つ、5年の期間効力を有すべし。両締約国の何れの一方も、右期間満了の一年前に本条約の廃棄を通告せざるときは、本条約は、次の5年間、自動的に延長せられたるものと、認めらるべし。
第4条
本条約は、成るべく速に批准せらるべし。批准書の交換は、東京に於て成るべく速に行はるべし。
条約の有効期間に関する条項は、第3条のみで、「中途解約」の条項は、ありません。なので、中途解約したければ、日ソ中立条約を中途解約するための条約を、新たに締結する以外に方法はありませんが、そういう条約は締結されていません。条約は、「破棄した」と言えば破棄できるような、ゆるい約束ではありません。
ソ連の行為は、著しい条約違反です。ソ連の条約違反により、日本が被った損害は、その賠償を請求すべき類いの損害です。
日本は、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ条約2条c項により、千島列島と南樺太に対する全ての権利を放棄しましたが、ソ連は、この日を待って、千島列島と南樺太に対する権利を主張し始めたのではなく、1945年の夏に、著しく条約、国際法に違反して、日本の領土を侵略し、今に至るまで占拠し続けています。
日本が権利を放棄した結果、帰属先が無くなった千島列島と南樺太。放棄後の62年間、米ソが軍拡競争を繰り広げ、今もまた、対立している中、日本は、主に経済活動により、人類社会の安定に寄与する働きをして参りました。そういう歴史を考え合わせれば、日本は、千島列島と南樺太に対する権利の回復、つまり、千島列島と南樺太の返還を、日本以外の、サンフランシスコ条約締約国に対し、要求すべきであると、僕は、確信しています。
長くなってしまいました。今回の投稿で、申し上げたいことは、未だ、日本に返還されるべきであるにも関わらず返還されていない、かつての領土がある、ということです。
沖縄県において、諸々の反対活動をしている人達は、「日本国民が、4月28日に、制限されていた国家主権の回復を祝う」ことに対し、沖縄県が返還されたのが、1952年4月28日ではなく1972年5月15日であることを理由として、反発しているそうです。甚だ自己中心的であると、言わざるを得ません。
千島列島と南樺太で暮らしていた日本人、同胞は、未だ、故郷を失ったままです。そういう中、5月15日を記念日とすることについて、沖縄県で諸々の反対活動をしている人達は、どう思われているのでしょうか。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則