冷徹に物事を観察する態度、detachment について | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 心を空っぽにし、私心を捨て去り、冷徹に物事を観察することは、とても難しく、人は、どうしても、慣れ親しんだ位置から物事を眺め、慣れ親しんだ切り口で物事を分析してしまうものなのでしょうか。

 初っぱなから余談ですが、この、冷徹に物事を観察する態度(=detachmentは、学問の世界に生きる学究の徒であれば、最低限、身に付けておくべき態度であって、学問上の成果は、その学問の中で示すべきであり、学問上の成果に関し、記者会見を開いて釈明をするというのは、おおよそ、学究の徒のすることではないと、僕は思います。学問をする人は、一時的にでも、自己顕示欲を捨て去らなければ、冷徹に物事を観察し研究することはできません。

 前回の投稿で、少し触れさせていただきましたが、僕は、かなり昔、宮城県の気仙沼市を訪れたことがあるのですが、そのとき、高台の上にある公立気仙沼総合病院(現・気仙沼市立病院に寄り、「こんな高台の上に病院を作ったら、病気や怪我の人が通院しづらくなるのにな」と思いました。
なぜ、総合病院が、高台の上に作られているのか。お恥ずかしい限りですが、3年前の春まで、僕は、全く何も気付きませんでした。

 国家とは、何か。そして、現に自分が属する国家に対しどう思い、どう考えているか。人は、「自分は変人ではないので、自分が思うのとほぼ同じように、他人も思っている」と、どうしても思いがちですが、中華人民共和国という国家に属する国民と、日本国民は、国家に対し、かなり異なる考えを持っていると、僕は思っています。

 次回は、その辺りから、書かせていただくとし、一旦、ここで切らせていただきます。逸脱してばかりですが、しばらくは、一応、いわゆる靖国神社参拝問題に絡むことを、書かせていただく積もりで居ります。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則