前回の投稿で、『休日ニ關スル件』という、昭和2年3月4日に公布された勅令(=天皇の大権により制定される命令)を、引用させていただきました。そして、「この勅令によって制定された祝祭日のなかには、休日を増やしたくて、当たり障りの無い説明を付して、半ば強引に制定されたものなど無い」ことも、書かせていただきました。
一般的に、獲得するまでは、激しく追い求めた民主主義。もしくは、獲得するまでは、燦然と輝いていた民主主義。手に入れて、それなりの歳月が過ぎ、振り返ってみて、さて、どうでしょうか。
教育をなおざりにしたまま、特に、人として守るべき道や、仁と義、つまり、道徳に関する教育をなおざりにしたまま、議会制民主主義を押し進めれば、国民は、全体として劣化し、国力が低下します。そのことの好例、適例のような、『休日ニ關スル件』と『国民の祝日に関する法律』。どちらのほうが良質かは、言うまでもないでしょう。
昭和30年11月15日に、「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う」ことも、重要政策のうちの一つと位置付けて、船出した自民党。
占領時において、占領憲法や占領諸法制が定められるのは、当然過ぎるぐらい当然のことです。そして、占領が終了すれば、占領憲法や占領諸法制の改廃を行うのも、当然過ぎるぐらい当然のことです。
占領が終了し62年以上の歳月が過ぎて、なお、占領憲法や占領諸法制の改廃が完了していない日本の現況は、異常過ぎるぐらい異常なことです。
憲法というものは全て、法律も然りですが、問題の発生を防ぐために、そして、発生した問題を速やかに解決するために、つまり、平和のために、制定されます。他の、議会制民主主義の国に行って、議会に顔を出し、議員(legislator, lawmaker)をつかまえて、「日本の憲法は、あなたの国の憲法とは違い、平和憲法なんです」と口走れば、どうなるでしょうか。
相手が、「おかわいそうに、この方の頭の中では、まるでお花畑のように、お花がいっぱい咲き乱れているのでしょう」と思って、憐憫の眼差しを向けてきても、そう不思議ではないと、僕は思います。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則