『俺、結構、みんなに貢献してるっしょ。2013年に、世界平和の分野で、最も貢献したのはほかの誰でもなくて俺だよね。だから、その賞金、もちろん、俺に贈呈してくれるよね。』
もし、僕が、公衆の面前で、こういうことを、冗談やボケとしてではなく、心の中で思っていることの発露として、真顔で、しかも、得意気に叫び出したら、みなさんは、どう思われますか。
消費税及び地方消費税に関する投稿を、10本近く続けてさせていただこうと思っておりましたが、それを中断し、憲法という、法令の中でも、やや堅く観念的なものについて、書かせていただいているのは、憲法記念日(明治天皇の誕生日である明治節の6か月後)が近づいてきたからではありません。
過日、「憲法9条をノーベル平和賞に」というニュース記事を目にし、「ここまで、日本人が落ちぶれてしまうとは。何ゆえ、こんなにも落ちぶれてしまったのだろう」と思ったからです。
ノーベル賞というのは、アルフレッド・ノーベル氏の遺言に基づき、「氏の遺産で設立された基金から得る利息を、賞金として、前年において人類に最大の恩恵を与えた人達に贈呈する」というものです。氏は、平和に関する賞に関しては、遺言の中で、「国家間の融和、既存の軍事力の廃絶や削減、平和会議の形成や進展に対し、最大もしくは最良の働きをした人物に贈呈して欲しい」と、述べられています。
ノーベル氏の遺言に「前年において人類に最大の恩恵を与えた人物に贈呈して欲しい」とある通り、ノーベル賞を受賞できるのは人(個人か団体)だけであり、法令は対象外です。で、事もあろうに、ごく一部の日本人が、日本国民をノーベル賞の受賞候補者に推薦し、つまり、自薦し、更に事もあろうに、日本のマスコミが、諸手を挙げて、嬉々として、これを報道しています。
2013年において、「国家間の融和、既存の軍事力の廃絶や削減、平和会議の形成や進展に対し、最大もしくは最良の働きをした人物」は、果たして、日本国民でしょうか。百歩譲って、仮にそうだとしても、ノーベル平和賞に自薦する、自らを推薦するということは、「俺、世界平和に貢献したから、賞金、俺に贈呈してくれるよね」と、言っているのと同じ。
仮に、他国の人に、「ノーベル平和賞に、是非とも、日本国民のみなさんを推薦させていただきたい」と、おっしゃっていただくようなことが、あったとしても、「何も特別なことは、しておりません。人間として、ごく普通のことを、させていただいただけですので」と、答えるのが、ごく普通の日本人なのではないでしょうか。僕は、そう思っています。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則