節目の日、4月28日を迎えるにあたり思うことなど | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 書かせていただきたいこと、書きかけのままになっていることは、数多(あまた)あれど、落ち着いて書く時間的余裕なく、年度末をまたぎ、日々の由(よし)無し事に追われるばかり。これが、浮世というものなのでしょうか。

 「私にとって、1年365日の中で、最も大切にしている節目の日と言えば、この日です」という一日は、人によって様々でしょう。信心深い人であれば、花祭りの日(4月8日)であったり、イースターサンデー(Easter Sunday、復活祭の日、今年は4月20日)であったり、ラマダン明けの日(今年は7月28日)であったり。はたまた、配偶者や崇拝する人の命日であったり、敗戦の日や、被災、罹災した日であったり。

 もう、4月。今年も、程なく、4月28日がやってきます。高度経済成長の只中において生を受け、僕は、長い間、この日がどういう日か、知ろうともしないで過ごして参りました。

 あの戦争で勝った連合国は、あの戦争で負けた日本を占領し、一般的には占領政策と呼ばれる「日本弱体化政策」を次々と実行し、実行していく中で、性根の程が見え透きそうなほど嫌らしく、日本人にとって節目である日をわざわざ選び、事を行いました。例えば、1946年4月29日に、いわゆる国際軍事裁判(International Military Tribunal)において『起訴』が行われ、1948年12月23日未明に、7人の日本国民が、『絞首刑執行』により命を奪われました。

 サンフランシスコ条約()が発効し、制限されていた日本の国家主権が回復した日が、1952年4月28日であるのは、サンフランシスコ条約23条に基づくもので、恣意性はないと思われます。この大きな節目の日が、かなりないがしろにされ、そして、この日以降に、速やかに為すべき重大なことを、私たちは、なおざりにしたまま、今日に至っています。

 ポツダム宣言を受諾し、日本は、「あの戦争における敗戦国」になりました。サンフランシスコ条約が効力を持つに至り、同条約に基づき、日本は放棄すべきを放棄し(2条など)、日本国と各連合国との間の戦争状態は、終了しました(1条a項)
今も、「日本は、あの戦争における敗戦国である」という事実は変わりませんが、戦争状態は終了しましたので、今の日本は、言わば元敗戦国です。決して、あの日(1945年8月15日)からずっと、敗戦国という地位に居続けている訳ではありません。

()英語版、仏語版、西語版が、正文。日本語版は、正文ではない。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則