神社とshrine、それぞれの語感は掛け離れている | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 「うっかりするのにも程があるよ」と言われてしまいそうですが、17年ほど前に、JR横須賀線が走る三浦半島に"移住"してからかなりの間、JR横須賀線(大船駅から久里浜駅まで)の横須賀駅と久里浜駅の間が、複線ではなく単線であることに、気付かないまま過ごしていました。

 同様に、横須賀市にある走水(はしりみず)という地名の由来は、当地に水源地があり、水が走るように湧き出るからなのだろうと、長い間、何となく思っておりましたが、先日、たまたま、閲覧した走水神社のウェブサイトに、

「・・・たちどころに海は凪ぎ、風は静まり、日本武尊(やまとたけるのみこと)一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。以来、水走る走水と言われております。」

と書かれていて、そうだったのか、うっかりしていたなと思いました。

 この国にとって、神社、社(やしろ)とは何か。最近、改めて、神社について考えています。その契機となったのは、昨年末、安倍晋三首相が靖国神社を訪れ拝礼した際の、米国の大手マスコミの報道、特に、CNNの報道です。CNN.com(International Edition)のトップページの最上段の見出しに、正確な原文を覚えていなくて申し訳ありませんが、「Japanese PM visits War Shrine」とあり、唖然としてしまいました。

 そういったこともあって、最近、湊川神社や伊勢神宮を訪れ、その流れで、ジョギングの途中、走水神社で小休憩し、結果的に、上記のウェブサイトに行き当たり、うっかりに気付き、感謝しています。
日本語の単語の"神社"と、英単語の"shrine"。辞書の上では、同じ意味合いの語のように扱われていますが、それぞれの語が持つ語感は、重複する部分が少なく、かなり掛け離れていると、僕は思っています。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則