官房長官が選挙権の行使を催促するのは、職権濫用である | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 選挙権も被選挙権も、権利であるので、行使するしないは、有権者の自由である。

 自由とは、哲学的に言えば、他人の由(よし)、つまり、他人が考え出した理由に基づいて行動するのではなく、自らの由(よし)、自らが考えて得た理由に基づいて行動することである。
要するに、他人に言われたことを鵜呑みにして、他人に指示された通りに生きるのではなく、「何をどうするかを、自分でよく考えて生きること」を、指す。

 今回の衆議院の解散をもって、議員を引退された森喜朗氏が、かつて「無党派層は寝ていてくれれば(自民党にとって)いいが、そうはいかない」発言をし、物議を醸したことがあった。
森氏は、単に、選挙の戦略について発言したに過ぎず、「誰それは投票所へ行け、もしくは、行くな」という話をした訳ではない。もちろん、「誰それは行け、とか、行くなと、申し上げているのではないですよ」と、しっかり前置きをせずに前述の発言をしたのなら、それは、自ら、マスコミの餌食になりにいったようなものである。

 私は、20歳になり選挙権を得て以降、自民党員及び自民党にしか票を入れたことがないが、数回、熟慮の末、投票所に行かず選挙権を行使しなかったことがある。私が住んでいた選挙区の候補者全員が、「拡声器を自動車に積み住宅地にやって来て、名前を連呼するだけの候補者」だったからだ。

 民間人が、自らの考えに基づいて、「皆さん、選挙に行きましょう」と呼びかけるのは、自由権の範疇に属する行動であり、そこから逸脱するものではないだろう。しかし、時の官房長官が、有権者に対し、選挙権を行使するよう促すのは、明らかに、職権の濫用であり、素人っぷり、丸出しである。
熟慮の末、選挙権を行使しない国民も、おられるだろう。そういう国民は、ダメな国民なのか。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則