師走の電飾を見て、思ったことなど | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 昨日は、時間がなく、神戸ルミナリエに足を運ばないまま、戻りました。クリスマスの時期ということなのか、昨日、訪れた先々で、電飾などの飾り付けを見かけました。

 ルミナリエは、もちろん、鎮魂、先の震災で亡くなられた方々の魂を鎮めるための光であり、この華やかさの主要な目的は、今生きている私達の目を楽しませることではない。さだまさしさんの歌の歌詞に、「♫私の小さな弟が何にも知らずにはしゃぎまわって / 精霊流しが華やかに始まるのです」とあるのと、同じである。

 苔(こけ)むしたような言葉を使って申し訳ない、「一宿一飯の恩義」という言葉がある。その昔、その一夜の宿さえままならず、厩で生まれ、飼い葉、馬草の上に寝かせられた赤子がいる。長じて後、丘の上で、十字の磔柱に磔にされ亡くなった。

 その者が厩で生まれたのは、歴史的に検証すれば、秋だと言われているが、キリスト教の教会では、冬至の後に、その者の誕生を祝う。冬至に向かって弱まっていった日の光が、今度は、日々、強まっていく。

 師走の電飾を見て、そんなことを思い、JR姫新(きしん)に乗り播但(ばんたん)線に乗り、歩き回ったら、疲れてしまったのか、機内に携帯電話機を忘れてしまいました。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則