昨日は、時間がなく、神戸ルミナリエに足を運ばないまま、戻りました。クリスマスの時期ということなのか、昨日、訪れた先々で、電飾などの飾り付けを見かけました。
ルミナリエは、もちろん、鎮魂、先の震災で亡くなられた方々の魂を鎮めるための光であり、この華やかさの主要な目的は、今生きている私達の目を楽しませることではない。さだまさしさんの歌の歌詞に、「♫私の小さな弟が何にも知らずにはしゃぎまわって / 精霊流しが華やかに始まるのです」とあるのと、同じである。
苔(こけ)むしたような言葉を使って申し訳ない、「一宿一飯の恩義」という言葉がある。その昔、その一夜の宿さえままならず、厩で生まれ、飼い葉、馬草の上に寝かせられた赤子がいる。長じて後、丘の上で、十字の磔柱に磔にされ亡くなった。
その者が厩で生まれたのは、歴史的に検証すれば、秋だと言われているが、キリスト教の教会では、冬至の後に、その者の誕生を祝う。冬至に向かって弱まっていった日の光が、今度は、日々、強まっていく。
師走の電飾を見て、そんなことを思い、JR姫新(きしん)線に乗り播但(ばんたん)線に乗り、歩き回ったら、疲れてしまったのか、機内に携帯電話機を忘れてしまいました。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則