人類にとって原子力は、未完成の技術である | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 自らの意思で、新たに何らかの会に入り、そこに属することを入会と呼ぶのなら、自らの意思で、入っている会から離れ、その会に属さなくなることは、退会と呼ぶはずである。脱会とは呼ばないと思う。

 脱会という言葉は、「入りたくない」という本人の意思に反して入会させられた会から離れる、もしくは、「退会したい」という本人の意思に反して退会させない会から離れる、そういう場合に使われる言葉だと、思う。私の言語感覚は、ずれているだろうか。

 このブログは私個人のブログなので、正直なところを書かせていただく。原子力発電に関し、脱原発だとか、卒原発だとか、原発からの撤退だとか、赤面することもなくおっしゃる政治家が居られるが、そうおっしゃるご自身に酔っておられるようにしか、私には見えない。

 脱原発という言葉は、詐欺や脅迫によって原発を利用させられている者が発する言葉である。現に原発が存在することに対する責任を負う者が発する言葉ではない。因みに、この国の法律である原子力基本法2条1項には、原子力利用は平和の目的に限る旨が、明記されている。

 私は日本国民なので、現に原発が存在することに対する責任を負う者のうちの一人である。この国では、国家主権は国民に存する。現行法に対する責任は、言わずもがなのことであるが、その法案の成立に反対した国民も含め全ての国民で、負う。
成立した法律に反対であるなら、その法律を廃止する法律を成立させるよう努力すべきであり、「あのとき野党だった」は、免罪符ではない。

 長くなり、また、時間もないので、一旦、ここまでにします。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則