あと、どれだけ歩けば、いっぱしの大人になれるのだろう | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。


♫ How many roads must a man walk down before you call him a man?

[ 拙訳 ] ♫ あと、どれだけ歩けば、一端(いっぱし)の大人と呼ばれるようになるのだろう



 それなりの年齢の方にとっては、かなりお馴染みの歌詞でしょうか。若かりし頃から、年季が入ったようなしわがれた声で歌われていたボブ・ディランの『Blowin' in the wind』の歌い出しです。
私は、のちのち、吉田拓郎の『親切』という歌の歌詞「今日もまたボブ・ディランの話かい いやだね」を聴いて、「ボブ・ディランって、誰」と思った世代の者です。

 下段に、拙訳を掲げさせていただきました。北海道と来れば「でっかいどう」と声を出す人が、この世にいるように、私は、冒頭の歌詞の下線部の"a man"を聴くと、いつも、「一端(いっぱし)の大人」という言葉を連想してしまいます。

 単に末席をけがしているに過ぎない身ですが、私は、大勢いる日本国民のうちの一人なので、当然のことながら、この国の行く末に関する責任の一端(いったん)を担っている者のうちの一人でもあります。
「このままでは、国力の低下に歯止めを掛けることすら、できない」という強い危機感を抱き、自身の非力を省みず、このアメブロという場で、こういう文章を書いたり、今は国政選挙が近いので、空き時間に、党支部長の広報チラシを配り歩いたりしています。

 この国の国家主権は、国民に存する(憲法前文)日本国民全員で国政の責任を共有していることを忘れずに、私なりに、この国難に向かい合おうと思っております。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則