部分最適と全体最適のバランスがとれる人が、大人である | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 なんだかんだ言っても、ある程度以上の社会的地位に就いている人は、その地位に就くまでに、様々な試験、面接、人事考課、多くの人の日々の評価を経て、その地位に就いているのだから、それなりに仁徳がある方に違いない。ある程度以上の社会的地位に就いている人全員が、仁徳の人ということはないだろうけど、そのうちの何割かの人は、必ず仁徳の人であろうから、普通の国民は、そんなに深い関心を政治に示さなくても、この国は大丈夫だ。

 恥ずかしながら、10年ほど前まで、私は、そう思っていた。そう思っていたから、政治家の行いに対して、重箱の隅をつつくように、不平不満を言うのは、如何なものかと、思っていた。この社会は信頼関係で成り立っている。普通選挙を行い国民が選んだ政治家が、国家国民のために人事を尽くす。その結果が、あまり、当初の期待通りのものでないからといって、不平不満を言うのは、少々下品であるとさえ、思っていた。重ね重ね、お恥ずかしい限りだ。

 官僚の世界においても、国会議員の世界においても、部分最適に徹している人、つまり、自分が得するならば、自分が属している組織が得するならば、人の道にもとることをしても心が痛まない人ほど、高い地位に就く。結果として、仁徳がある人は、はじかれる。他の国においては、そういうことがあるかもしれないが、日本は、断じて、そういう国ではない。そう思い込んで、現実を見ていなかった。

 2009年夏の衆議院議員選挙の結果によって、私は、現実をよく見ていなかったことを、これでもかというくらいに思い知らされた。
私は、「部分最適と全体最適のバランスがとれる人が、大人である」と思っている。部分最適をいくら足し合わせても、この国の劣化を止めることはできない。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則