天皇陛下への敬意を表すことは、個人崇拝ではない | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 天皇陛下が、明日行われる震災の追悼式に、出席されるご予定との報を読み、一国民としてほっとしている。こう書くと、「その書き手は、天皇陛下を個人崇拝している」と、思い込む人が、少なからずいる。私は、別段、天皇陛下を個人崇拝して、そう書いた訳ではない。

 村落共同体は、他人の集まりではなく、地縁に基づき多くの運命を共有する者同士の集まりである。顔も名前を知り合っていて、気心も、ある程度知り合っている者同士の集まりである。
近代国家の国民という集まりは、そういう集まりではない。日本国民の人口は、約1億2600万人だけれど、私が、顔も名前も気心も知っている日本国民は、ほんの数十人である。そういう意味で、近代国家は、他人の集まりである。

 例えるなら、約1億2600万人の日本国民は、"日本国丸"という大きな船に乗り組む乗組員である。海が穏やかな晴天の日に、「他人ばかりで窮屈な日本国丸なんか、これ以上乗り組みたくない。俺はプレジャーボートを持っているから、自分のボートに乗って好きなようにやりたい」と言って、日本国丸を降りてプレジャーボートに乗り換えたらどうなるか。
きょう、たまたま、海が穏やかでも、この海には、ロシア丸も、中国共産党丸も、朝鮮労働党丸もいる。もちろん、海賊もいる。プレジャーボートでは、太刀打ちできない

 他人ばかりで窮屈ではあるが、この窮屈な日本国丸に乗り組んでいることに感謝する気持ちがあれば、国旗や国歌をぞんざいに扱う気にはならないと、私は思う。
天皇陛下に対する敬意を表すことは、日本国丸に乗り組んでいることに感謝する気持ちの発露である。個人崇拝ではない。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則