「弱者を保護します」と言いながら、弱者のみならず、弱者でない者の一部も保護することは、残念ながら、よくあることである。
「銀行や巨大企業が潰れると影響が大きいから、銀行や巨大企業は潰さない」、90年代の後半以降に、不良債権の処理を進めていくとき、当然のことのように、そう言われ続けた。全ての出資者は、出資した会社が潰れる危険性を引き受ける者である。なぜ、実質的に破綻した会社を、破綻させないのか。
会社が解散し清算すれば、株式は無価値になり、株主は、出資した金額を失う。会社法104条には、「株主の責任は、その有する株式の引受価額を限度とする」と、書かれている。だが、銀行や巨大企業の株主が、その有限の責任を負う可能性は、極めて低く、銀行や巨大企業の株主は、ほぼ免責されている。
実質的に破綻した会社は、解散させるべきである。その会社の株主には、会社法104条に基づいて、相応の責任を負わせるべきである。「影響が大きいから潰さない」というのは、弱者のみを保護するふりをしながら、弱者ではない者をも保護するための口実に過ぎない。実質的に破綻した会社を解散させた後、弱者のみを保護するべきである。
実質的に破綻した会社を破綻させないことにより、結果的に、超富裕層とそれ以外の層の資産格差が、ますます広がる。そのことは、この社会を、より生きやすいものにしているのだろうか、より生きづらいものにしているのだろうか。
本当は、上記と同じような構図が垣間見える、赤字国債や赤字国債の借換債について、書く積もりでしたが、前ふりが長くなってしまったので、ここまでにします。
神奈川県にて
佐藤 政則