通貨は、分業することにより協業するための道具である | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 ネジ一つ作るにしても、全工程を一人で作るよりも、分業したほうが、効率よく作ることができる。「分業することにより協業する」ことによって、社会をより住み良いものにする。通貨という公器は、そのための道具である。

 円紙幣は、日銀法に基づいて、日本の領土においては、無制限に通用する。法律によって通用しているということは、主権者である、(集合体としての)国民の信用によって通用しているということである。決して、膨大な個人資産を保有していると言われている方々など、一部の人々の信用によって、通用している訳ではない。私は、そういう思いで、「通貨は、公器である」と、再三、申し上げている。

 公器であるので、その使用に制限が掛かるのは、当然である。公共の福祉に適合しない使用方法に対し、制限が掛かるのは、当然である。「サブカルキングの異名を取る」と言われているみうらじゅん氏は、ごく稀に、名言を吐かれる。

 「人生ゲーム」という名の洋風すごろくは、米ドルに似せた模造紙幣を使って遊ぶゲームだが、何度か遊んでいると、模造紙幣が減ってしまったそうである。「ゲームが終わったら、紙幣は、ちゃんとゲームの所有者に返さなきゃだめですよ」と、みうら氏はおっしゃり、消費にも、そして、設備投資などの実体経済への投資にも回さないお金、余資は、返却させるべきであるという趣旨のことを、おっしゃった。

 投機を繰り返すことによって、個人の金融資産を際限なく増やす行為は、果たして、公共の福祉に適合する行為だろうか。ニクソンショックによって、通貨と金(きん)の交換関係を完全に断ち切ってから40年、今こそ、通貨を再定義すべきだと、私は思う。


兵庫県姫路市にて
佐藤 政則