原子力発電によって得た電力を消費して生活をすることの是非が、原発を現に稼働させている大半の国において、今、問われている。原発推進から、"原発依存度を下げるべき"や、脱原発まで、様々な意見が、飛び交っている。そういう様々な意見に触れて、私は、何と言えば良いのだろうか、価値観の衝突、文明の衝突ということを考えるに、至っている。
66年前に、東京湾入り口の浦賀水道辺りに停泊する戦艦ミズーリにおいて、降伏文書の調印式が行われた。その戦艦ミズーリは、今は退役して、戦艦アリゾナから、目と鼻の先くらいの所、つまり、米国ハワイ州のパールハーバーと呼ばれる入り江の中に置かれ、Battleship Missouri Memorial、戦艦ミズーリ記念館として、一般人に公開されている。
この投稿に直接は関係がないという意味で蛇足だが、戦勝国として、戦艦ミズーリの艦上において降伏文書に署名をした国の中に、中華民国という国はあるが、その中華民国と内戦をした後に政府を樹立した中華人民共和国は、もちろん、戦勝国として、戦艦ミズーリの艦上において署名をした国ではない。
あの戦争の本質は、文明の衝突であると説く方がおられる。戦勝国に大義があって、敗戦国に大義がなかったのか。土地を含む天然資源の争奪戦をした。戦勝国も敗戦国も、争奪戦をした結果、望んでいた物を手に入れた暁には、どういう外交をし、どういう政策を実行して、民が平穏無事に暮らせる社会を作ろうと、考えていたのか。
自分が快適な生活を送るためなら、そして、国際競争力とやらを失わないためなら、放射性廃棄物(いわゆる核のごみ)という、とんでもなく危険な物を、とりあえず地下深くに埋めて、次世代の国民に、そういう国土を残しても、「平気、全然気にしないよ」なのか、否か。
そういう意味で、価値観の衝突であると、私は考えている。
神奈川県にて
佐藤 政則