一国民として、応分の責任を果たすための行動 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 およそ1年半前に開かれた、ある小さな会合を、ふと思い出した。それは、民主党が大勝した前回の衆議院議員総選挙の後しばらくして、その総選挙で落選した立候補者を囲み、今後について、皆で遠慮なく話し合おうという、有志の集まりだった。

 日本国憲法の前文に、あっさり「・・、ここに主権が国民に存することを宣言し、・・」と、書かれている。国民主権とは、どういう状態を指すのか。私は、「国民が、主権と呼ばれる、一国を統治する権力の持ち主である状態」というふうに、解釈している。

 主権と呼ばれる、一国を統治する権力は、一つの国において、二つはなく、只一つ存在するのみである。二つあれば、争いが起こる。国民主権とは、集合体としての「国民」が、一つの国において只一つ存在する主権の持ち主である状態。
集合体としての「国民」を構成するのは、国民おひとりおひとりである。間違っても、国民おひとりおひとりが、それぞれ、主権の一部分を、持っているわけではない。主権は、「国民」という集合体に存する

 前回の衆議院議員総選挙において、私は、投票用紙に、現在の与党の名及び、現在の与党が公認や推薦をする立候補者の名を、書いていない。書いていないが、もちろん、現在、民主党と国民新党に政権を担わせていることの責任を、私は、他の国民の皆さんとともに、負っている。私は、主権の持ち主である「国民」という集合体の、一構成員だからである。

 およそ1年半前の小さな会合で、その責任を噛みしめた。今、その責任を意識しながら、菅直人首相に衆議院解散の閣議決定を迫るために、告発の心積もりをしていることを、何度も申し上げている。