前回、アップロードした文章の中で、「和の心」という、とても抽象的な表現を使った。普段、理屈っぽい文章ばかり書いているが、理屈が全てであるとは、もちろん思っていない。人が、森羅万象を研究するしないにかかわらず、森羅万象は、存在し変化し続けている。人は、人知を結集して、その森羅万象の変化に対し、人なりの精一杯の解釈を与えているだけである。
理屈が全てであるとは思わないし、かといって、理屈などどうでもいいとも思わない。小さな頭で考えて、精一杯、理を詰めるよう努力するが、人が知り得ることなど、物事のほんの一部分であることを知り、謙虚な気持ちで、現実に対応していくことが大切であると、私は思っている。
40年以上生きてきて、反省することが多々ある。日本社会の中で、長年培われてきたものがある。その一部あるいは多くを、合理的でないという理由で手放してきたが、大切なものまで手放してきたように、思う。
戦後、官民挙げて、自動車生産に注力する。高速道路を建設する。鉄道の赤字路線を廃止する。自動車が増える。が、家の周囲の生活道路は狭く、車道と歩道が区分されている道路は少ない。その狭い道路を、車が我れ先と走り抜けていく。
結果、足腰が丈夫でない方は、安心して道を歩くことができない。町内会の回覧板には、「夜、歩く時は、反射板が付いたたすきや軍手を身につけましょう」と、書いてある。日本人が、日本国領土内の公の地を、安心して歩けなくなっている。
「和の心」について、地域社会を切り口にして書こうと思ったが、あまり進まなかった。自動車は、とても便利な乗り物だが、何事も、増え過ぎると弊害が大きくなる。