技術革新が進んでも、輝く未来は来なかった | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 私が子供の頃は、週休1日が、ごく普通のことだった。土曜日の午前中は、学校に行く時間であり、また、銀行の窓口が開いている時間であった。
「将来は、技術革新が更に進むので、今の生活水準を維持しながら余暇時間が増え続け、やがて、週休2日になり週休3日になる」と、言われていた。あながち、子供騙しの話ではないと、子供の頃の私も、思っていた。

 実際に技術革新が更に進み、また、東西冷戦が終結し"平和の配当"が人類社会にもたらされたはずなのに、なぜ、あの頃に思い描いた輝かしい未来は、来なかったのか。私なりに、少し考えてみたい。

 最低賃金法に基づいて給与所得の下限を決めても、税制を調整して所得の上限を決めない限り、所得格差をある一定の範囲内に保つことはできない。所得格差が開き、資産格差が開き過ぎると、社会にどういう影響を与えるのか。

 現代の社会において、生活に必要な物やサービスの大半は、株式会社などの会社が提供してくれる。資産格差が開き過ぎると、ほんのごく一部の資産家が、株式などの出資金を通じて、多くの会社の経営に、多大な影響を及ぼすようになる。
かくして、街には24時間営業のコンビニやファミレスがあふれ、最低賃金ギリギリの時給と深夜割増賃金を目当てに深夜働く従業員と、いつも睡眠不足でフラフラの店長さんオーナーさんが、増えていく。利益を上げて高配当を維持し、高株価を維持することができない取締役は、あっという間に失職することになる。

 近代化の端緒についたばかりの頃ならいざ知らず、経済が成熟し停滞し混乱している今なお、株主に権力を集中させ続けることは、必要か。