先々月の3月に、米国において、医療保険改革法が成立した。経済的な余裕がないために、医療保険に加入していない無保険者が、今後、大幅に減るようである。米国民及び米国居住者は、現在、公的医療保険への加入が義務付けられていない。米国の公的医療保険制度は、いわゆる国民皆保険(=全国民対象の強制加入保険)ではない。
日本は、どうか。1922年に、健康保険法が公布され、関東大震災をはさみ、ようやく1927年に施行された。当初は、工場労働者などを対象にしたものだったが、現在においては、株式会社の取締役も加入し、民間組織で仕事をする全ての人を対象とした公的医療保険となっている。
そして、自営業者や無職の人は、国民健康保険に加入し、公務員などの人は、加入している共済組合の中に医療保険があり、カバーされている。
日本においては、「経済的に余裕が有るから、もしくは無いから、公的医療保険には加入しない」ということは、できない。つまり、日本の公的医療保険は、国民皆保険である。このこと自体は、高く評価されるべきことだと思うが、もう一歩前に、進んでみてはどうだろうか。
公的医療保険が、なぜ、職業別にいくつも存在しているのか。健康保険法に基づく健康保険組合は、日本全国で1460余り存在している。公務員などの共済組合は、たとえば、各省庁ごとに個別の共済組合が存在している。ということは、何千人もの組合理事長が、現在、日本に存在している。無駄ではないのか。
人間は、職業にかかわりなく、けがを負い病気にかかる危険性をかかえながら、毎日生きている。そして、憲法第25条第2項には、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と書いてある。
職業ごとに公的医療保険を分ける必要や根拠は、全く無い。この国に、公的医療保険は一つあればいい。いや、一つにすべきである。そういう視点から見れば、後期高齢者医療制度は、画期的である。職業は一切問わず、基本的には年齢制限があるのみ。もちろん、画期的なのは、「職業は一切問わず」の部分である。
文章が長くなってしまいましたので、一旦、切ります。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。