先ずは、全体のあらすじを簡略に記述します。
時は元禄14年(1701年)3月14日、江戸城本丸の松の廊下にて、播磨赤穂藩の第3代藩主浅野内匠頭(官名、本名は浅野 長矩)は堪忍袋の緒が切れて、高家の吉良上野介に対して刃傷事件を起こした。
征夷大将軍徳川綱吉は、「勅使を迎える大事な場を血で汚した」と言って激怒し、喧嘩両成敗のruleを破り一方的に浅野に切腹を命じ、吉良には何の咎めもなかった。城中にはこの裁定を不満とする輩もかなりいたが、ことはそのまま進んでしまった。
お家取り潰しの沙汰への不満が鬱積し、翌年1702年12月14日、赤穂浪士による吉良邸討ち入りとなった。未明までに辛うじて仇討を果たし、潔く全員切腹して散った。
大石内蔵助:国家老、1500石(譜代)。討ち入りの指導者。享年45。辞世は「あら楽や思ひは晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし」。
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