2015年3月3日の午後、小雨降る播州赤穂をぶらり尋ねた。僅か半日であったが、暗くなるまであちこちと歩を運んだ。 想いかえして記録していると 播州赤穂_1~4、赤穂浪士_1~10 の14回にもなる長編となってしまった。今回がその最終回である。
史実に沿ってあらすじを追っているうちに内容がやや暗くなり、早く終えたいと思いつつ、現代世相の中で忘れ去られてしまった何かを思い出させるものもあろうかと、頑張って綴ってみた。
戦国時代から抜け出し、天下泰平と言われた徳川300年の江戸時代。
1603年:家康が征夷大将軍となり徳川幕府の発足から、1867年:慶喜の大政奉還までの264年間。
Picture : 初代将軍:徳川家康
江戸時代が約80年経過した時点(延宝8年:天和元年:1680年)で第5代将軍となった綱吉(35歳)の頃、1683年の天和令(武断政治から忠孝・礼儀を重んじる文治政治に転換)、1685年の生類憐みの令(捨て子保護、動物の保護)を制定。
1701年に赤穂藩主浅野内匠頭の高家吉良上野介に対する刃傷事件が勃発。その結果として綱吉のとった不平等の沙汰に対して、2年をかけて、時の権力者に立ち向かい、喧嘩両成敗のリベンジを勝ち取った一連の出来事が当時の世間では大喝采を浴びた。当時のnewsとしてその実話が上演されたが、すぐさま上演禁止となった。晴れての上演(時代・登場人物設定を変えて)は45年後の1748年である。
大阪の竹本座で上演された「仮名手本中心蔵」
平成14年4月、新橋演舞場での公演
戦国時代は、何事も「力づく」が横行した。武士も町人も何かと言うと喧嘩で殺しあう気風があり、人を殺すことが軽く扱われ、むしろ功名だという意識で世の中は動いていた。
綱吉は、戦国以来のこの殺伐とした社会風潮を改め、学問を奨励し、人の心を優しくし、「文治国家」に変えていきたいとの願いもあり、天和令、生類憐みの令を制定したという。
当時庶民が口にしていた犬は食できず、急速に浸透し始めた貨幣経済システムに対応できる人材が幕府にはおらず、倹約・規制強化とあくまでも従来の米を主体とする農本主義を継続する政策で、国民は疲弊・困窮していた。
Picture:第5代将軍:徳川綱吉
生類憐みの令 の立札
余談だが、「人を殺すなんてとんでもない」という風潮ができたのは、これらの令ができた後のことであろうし、「殺人は人道に反する悪事である」との現代人の日常的な倫理は、この頃から根を下ろし始めたのでは?
歌舞伎「仮名手本中心蔵」の主題は「初一念を忘れるな」である。
深く考えすぎると損得や邪念が入って心の鏡を曇らせる、ということを役者の大石内蔵助に繰り返し語らせ、大石にとっての「初一念」①殿様の恨みを晴らす事、②武士としての誠を貫く事 を見事に成し遂げ、従容として死出の旅立ちとなるものだ。
古来からの日本文化に流れるイデオロギーを語っている各種の名著が有る。
武士道、新渡戸稲造(訳 矢内原忠雄)
Picture:新渡戸稲造
国家の品格、藤原正彦
Picture:藤原正彦
現在を支配しているイデオロギー:民主主義、合理主義、論理主義、功利主義とは一線を画するこの忠臣蔵の思想は、現代社会の小賢しい損得重視の利口者がはびこる風潮に一石を投じるものが描かれている?
「次代を担う若者が支持しない思想・文化は衰退する」とも言われるが、現代の若者はこのnon-fiction-storyをどのように見ているのだろうか?
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