り、リズム感と声質の問題か・・・!!! | 雨の降る日も晴れた日も

雨の降る日も晴れた日も

日々の感じた事を綴ります。




昨日は仕舞(と、お謡)のお稽古でした。


ええ。

「中六日」ですね。

ピッチャーには理想的なサイクルだとか。


しかし私はピッチャーではないので、お稽古不足での上洛でした(笑)。



お謡は『葵上』。

一応昨日のお稽古で最後まで教えていただきました。

(もちろん、自宅稽古をして次回仕上げだと思います)



私ね。

「自分は音痴ではない」という自負があったのですが、これほどお謡が苦手ということは、本当は自分は音痴なのではないか、と思うに至りました。

(あ、別に仕舞が得意というわけじゃないけど・・・ね)


なので先生に、

「私きっと音痴なんです」

と泣き言(?)を申し上げたら、

「いや、音痴ではありませんね」

「弱吟が謡えるということは音痴ではありません」

「ただの『お稽古不足』です(キッパリ)」

と。


そっか。


「音痴」という言い訳も使えないか(苦笑)。



何となく分かっているんですけどね。

リズム感というか間の取り方、そして決定的に「声」が悪過ぎるのですな・・・(ため息)。


んー。

リズム感や声質も「音痴」の要素にはなりませんか?どうなんだろう???




それにしても、男性と女性の音域の違い(1オクターブ違ってるんだって)のために、わざわざ少し低めに謡ってくださっている我が師匠にあらためて感謝、でございます。

ご自分の音域で謡うと、1オクターブ上で謡うことになる(一応女性の)私が謡い辛くなるとお気遣いくださってるんですね。

私、音楽の素養が皆無なので、昨日先生にお聞きするまでそんなお心遣いをしてくださっていることなど想像だにしませんでした・・・(苦)。





仕舞は『蝉丸(道行)』です。

こちらもほとんどお稽古して行きませんでした。

(なかなかね、お稽古時間がとれないの・・・苦)


なので逆髪さんが彷徨った足跡を調べたりして。

(そういう時間は・・・ある)


あ。
仕舞の詞章を書いてみましょうね。


花の都を立ち出(いで)て 花の都を立ち出て
憂き音(ね)に鳴くか賀茂川や
末白川をうち渡り 粟田口にも着きしかば
今は誰をか松坂や 関の此方(こなた)と思ひしに
後になるや音羽山の 名残惜しの都や
松虫鈴虫蟋蟀(きりぎりす)の 鳴くや夕影も山科の
里人も咎(とが)むなよ 狂女なれど心は清滝川と知るべし
逢坂(おおさか)の関の清水に影見えて
今や引くらん望月の 駒の歩みも近づくか
水も走井の影見れば 我ながら浅ましや
髪は荊棘(おどろ)を戴き 黛(まゆずみ)も乱れ黒みて
げに逆髪の影映る 水を鏡と夕波の
現(うつつ)なの 我が姿や

金剛流「仕舞型附」より


逆髪さんは皇女なので、「花の都」は御所ですね、きっと。

「賀茂川」は出町(Yの字の合流点)より上流の川、「白川」は祇園あたりでしょうか?

「粟田口」は昔処刑場のあった場所。

「松坂」と「関」はよく分かりませんでした。

「音羽山」はたぶん清水寺の「音羽の滝」の源泉となる山でしょう。

そして「山科」を経て「逢坂の関」へと至る。


ちょうど京都市内から名神高速道路の京都東IC~大津ICへ至る道と重なります。

そういえば大津のサービスエリアで「走井」餅という美味しい餅菓子を売っています。
(時々買います)


逆髪さん。

ずいぶん長い距離を彷徨ったんですね。

しかもかなり寂しげな(←当時は)場所を・・・。



そして「逢坂の関」で弟の蝉丸さんと再会する(らしい)。


これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関


盲人の皇子と狂女の皇女。

逢ふ坂の関。

逢ふは別れの始めなり。


ひとつ・・・出逢って

ふたつ・・・すれちがって

みっつ・・・はなれて

よっつ・・・

あって わかれて わかれて あって

って、桂むつみさんのファンならどの作品からの引用か分かりますよね?

(って、いきなりの「桂むつみワールド」トリップですっ!!!)
(ほとんどの人には分からんやん・・・笑)




ふむ。

この曲、好かも・・・。


これは仕舞だけでなく、お謡も全文知りたい・・・です。


もちろんお能も観てみたい。


うん。



※京都の地名に関するお話。
 また別の機会に(←いつだ???)