※今回もお茶の話です。
興味のない方はスルーでよろしく。
え~と。
まずは掛物から。
「本来無一物」の色紙。(※)
とても有名で、とても難しい禅語だと思います。
捉え方も人それぞれでしょう。
ご存知ない方はご自分で調べてみてください。
(って、不親切でごめんなさい)
これは宗心宗匠がご著書の中で「好きな禅語十五題」として挙げていらした中の一つです。
十五の禅語の中で、持っていたのがこの「本来無一物」と「無事是貴人」でした。
なのでこの色紙を選ばせて頂きました。
そして花入と花。
花はちょうど今使える花が無く、珍至梅にアマドコロの葉を添えてみました。
花入はそれにふさわしく軽やかな手付きの籠。
草庵の侘び茶をイメージしてみました。
風炉と釜は単にこれしか持っていないからです。
他には電熱の紅鉢に万代屋(もずや)釜しかありませんので・・・。
そしてどうしても「生火」でお湯を沸かしたかったのです。
水指は古瀬戸。
まぁ、古瀬戸「風」だと思います。
地味な色合いの水指でしたので・・・。
茶入は丹波の茄子茶入。
茶入はもう一つ瀬戸黒の肩衝茶入があります。
そちらに添えられた仕覆は紹智花兎(じょうちはなうさぎ)という金蘭で、少し地味な色合い。
(金剛金襴に色目が少し似てるかな?)
一方、丹波茄子は仕覆が江戸和久田金蘭という少々派手なものなので躊躇したのですが、「瀬戸」が重なるのを避けて今回はこちらを使いました。
茶碗はやはり侘び茶のイメージで。
銘が「薫風」という、ちょうどこの時期に相応しいものかな?と思いました。
薫風と清風は少しイメージが違うかもしれませんが、私にとって宗匠は「歩歩清風起」のイメージの方でもありましたので・・・。
茶杓は最初、無銘ではありますが利休さん~織部さんの「泪」によく似た蟻腰の茶杓を使おうかと思ったのです。
「おもかげ」と仮の銘をつけて。
しかし、この茶杓、蟻腰がキツ過ぎるのか、茶入の蓋の上からツルツルと滑り落ちるのです(苦)。
茶入の蓋って小さいからね。
なので急遽「即今」の茶杓を使いましたが、これが大正解でした。
宗匠にご指導いただいた実技講習。
怖くなかったのは宗匠の大きな菩薩に対して、拙いながらも「即今」の気持ちで臨んだからではないか?と小さく自負しております。
本当にあの時は会場の人のこと、気になりませんでした。
なので「即今」の茶杓を使わせていただいてとてもよかったと思います。
まぁ、建水と蓋置は省略。
そして菓子。
これは近くの和菓子屋さんで用意しました。
お菓子屋さんの名前はナイショ。
田舎のお菓子屋さんですが、常に五種類の上生菓子があります。
その中から「てまり花」という羽二重のお菓子を選びました。
宗匠の亡くなった5月27日の花に「オオデマリ」があります。
オオデマリは別名「テマリバナ」というそうです。
いわゆる誕生花なのですが、死は常に次の生に対する通過点でしょうから・・・。
お許しください。
宗心宗匠という大茶人と(面識の有無にかかわらず)人生を交差させた私たちは・・・。
それぞれの今生を終わらせる時まで、きっと宗匠のことを忘れないでしょう。
以上、独りよがりな道具組の解説でした。
失礼いたしました。
※色紙について、今回初めて分かったことがありました。
それについてはまた別記事で。