「けれどいまのところ、グリン・ゲイブルスの下の窪地にすみれがいっぱい咲いているかぎり、『恋人の小径』にちいさなしだが頭を出しているかぎり、奨学金がだれのものとなろうと、ちょっともかまわない気持ちよ。あたしは最善をつくしたんですもの。『努力のよろこび』というものがわかりだしたわ。一生懸命にやって勝つことのつぎにいいいことは、一生懸命にやって落ちることなのよ。さあ、もう試験の話はやめましょうよ。あの家の上のうす緑の空をみてごらんなさいな。そしてアヴォンリーのうす暗いぶなの森が、どんなようすをしているかを想像してごらんなさいよ」
モンゴメリ『赤毛のアン』第三十五章 -クイーン学院の冬-より
清々しい気持ち?
それともやっぱり悔しいのかな?
それは誰にも分からない。
「清々しさ」も「悔しさ」も彼女のものだから。
でも結果はどうあれ「美しい人」が大好きな私はやっぱりうれしい。
持てる力の総てを出しきってパフォーマンスを終えた人だけが持つ「美しさ」。
誰かに「上げ底」をしてもらうことなく自分の才能と努力で生き残ってきた人だけが持つ「美しさ」。
そんな「美しさ」を見せてもらえて。


きっと年齢を重ねてもどんどん綺麗になっていく人だね。
昨夜は最後の最後ですこしヘタレてしまった。
でも今日はもう元気。
お気楽で能天気な怠け者だけが持つ「強さ」(←???)。
ふっ。
やっぱり美しさとはほど遠いなぁ、私は。