あの頃。
私は「私」しか見てなかった。
今でもその傾向はあるけれど・・・。
私は何がしたかったんだろう?
H先輩とどんな付き合い方がしたかったんだろう?
自分の理想を先輩に押し付けて、一人で自分勝手に「恋」をしていた。
恋愛は二人でするものなのに。
つまり「恋に恋して」いたのだ。
H先輩こそいい迷惑だっただろう。
受験生だったのに・・・。
先輩はいつも優しかった。
私が一方的に「さよなら」を突き付けても怒らず静かに受け止めてくれた。
「さよなら」。
いや、そんな美しい別れ方ではなかった。
私は自分を守るために徹底的に先輩を傷つけたのだ。
「先輩がそんな軟派な人だとは思わなかった」
「私はもっと硬派な男の人が好きなの」
「もう会いたくもない」
「教室にも来ないで。電話もかけてこないで」
「とにかくそばに寄らないで」
H先輩は、
「そうか。分かった。ゴメンね」
と言って私の前から静かに去った。
公園のベンチで肩に手を回されて以来、先輩はずっと腫れ物に触るように私を扱ってくれた。
二度と不埒(と、当時は思っていた)な振る舞いを私にすることはなかった。
だから私は先輩と手をつないだ記憶もない。
私とH先輩が別れた、ということをクラスメイトの一部の女子がどう思っていたのかは知らない。
その後も彼女たちとの関係が修復することはなかった。
今なら分かる。
彼女たちが私を嫌っていた以上に、私が彼女たちを嫌っていたのだ。
無意識のうちに。
それがH先輩との交際をきっかけに表面化したに過ぎない。
私がもっと強く、大人であったならば、あんな結末は迎えなかっただろうに。
クラスメイトにはもっと堂々と、
「H先輩が選んだのはあなたではなく私」
という態度でいればよかったのだ。
そしてH先輩には、
「私はまだそういう付き合い方は出来ないので、今はそういうことはやめてほしい」
と、きちんと自分の感情を説明すればよかったのだ。
全て私の強すぎる「自己愛」、すなわち幼稚さが招いたことだった。
春休み。
先輩から一本の電話が入った。
「受験も終わったし、休みを利用して北海道にスキーに行ってきたんだ」
「で、お土産買ってきたから渡したいんだけど、会えない?」
しかしこの大馬鹿者はどう答えたか。
「そんなものいらない」
約4か月以上経っても私は不機嫌だったのだ。
どこまで厚かましく幼稚で自分勝手で傲慢な少女だったのだろう。
醜い、とても醜い少女だった。
黒目がちで涼しい目をした優しい顔の少年。
その顔は今でもはっきりと覚えている。
忘れようにも忘れられない。
とても、とてもきれいな少年だった。
私のような醜い少女がたったひと月とはいえ横に並ぶべきではなかった。
その後、社会人になった私には一目惚れではなくとても好きな人が出来たが、その片想いが成就することはなかった。
当然だ。
罰が当たったのだろう。
夫とめぐり逢い、結婚までできたのは今でも奇蹟だと思う。
H先輩にはその後一度も会っていない。
いつだったか大きな同窓会があったが参加しなかった。
同窓会は私にとって「浄玻璃の鏡」だったのだろう。
浄玻璃の鏡を見た亡者はその生前の行いを恥じ自分の姿を見られまいとして暗い暗いほうへ自分で後ずさっていくのだとか。
即ちその暗い場所が地獄。
私はH先輩に関する限り恥ずかしくて申し訳なくて今でも地獄を彷徨っているのかもしれない。
今回、こうして書くことによって弔うことは出来たのだろうか。
もし今、H先輩に逢って先輩が私なんかと口をきいてくれたら精一杯の謝罪をするだろう。
でもH先輩には絶対に逢いたくない。
それは恥ずかしいからという理由だけでなく・・・。
もう一度、本当に「恋」をしてしまったら困るからだ。
それほどに素敵な人だった。
以上、大馬鹿女子高生の初めての恋のお話。
たぶんなかなか理解してもらえないだろうな。
『ごちそうさん』のめ以子はお見合いするのだろうか。
人生の中で出逢う人はそれぞれ大切な人ではあるが、深く深く愛せる人と巡り合うのはそうそうないことだろう。
若いということは愚かであるということだ。
(私ほどの愚か者もなかなかいないだろうけれど・・・)
他者につけた傷は必ず自分に同等の傷を残す。
どうか若い人には私のような愚かな青春時代を過ごさないでほしいと思う。
(私のブログに「若い」読者さんがいるかどうかは知らないけど)
長々と思い出話にお付き合いくださりありがとうございました。
自分の醜さと愚かさ、残酷さに向き合うのは正直シンドイ行為でしたが、やっぱり書いてよかったと思います。
服部先輩。
本当にごめんなさい。