スープ。soup。ソップ。 | 雨の降る日も晴れた日も

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好きなスープ ブログネタ:好きなスープ 参加中
本文はここから





ブログ、サボった。



ネガモード。



ん?



イスガシスギカエルモード???







ネタが無い。





ということでブログネタを借りてみる。







好きなスープねぇ・・・。



クリーム系のポタージュはどれでも好きである。



とうもろこしも、蕪も人参も、牛蒡も・・・。





コンソメ系も好き。



すっぽんとか使ってなければ。





エスニックのスープは苦手(だと思う)。



ま、基本、エスニックは食べません。









スープといえばまず思い出すのは吉田篤弘さんの『それからはスープのことばかり考えて暮らした』という本。



吉田篤弘さんの作品は「どこがどうだ」と説明するのが難しい。





最初に出会ったのは『つむじ風食堂の夜』という作品。



舞台は日本のような外国のような、でも町の名前から察するに日本なのだろうけれどどこか浮世離れしたメルヘンチックでリリカルな作品。



大好きな桂むつみさんの世界にどこか通じるような・・・。





『それからは・・・』は読みながらサンドウィッチとスープが食べたくなる作品。



『暮らしの手帖』に連載されていたらしく、いつぞやの『暮らしの手帖』にこの架空の素敵な町の地図が載っていた。

(しかし買いそびれてしまった・・・無念)









他にスープといえばロシアの童話の『3びきのくま』。



クマの親子が朝ごはんの前にお散歩に出かけたのだが、森で迷子になった女の子がクマさんたちの留守宅に迷い込み、スープを勝手に飲んだり、ベッドで眠りこけたり・・・というようなお話だった。





クマさんのスープって何味なんだろう?



スープは温かいほうがいいと思うのだが、お散歩に出かけて冷ますあたりは猫舌のクマさん一家だったのだろうか?



冷静に考えたら熊の食事なんて口にしたくもないが、絵本で見たスープの美味しそうなことといったら!!



私の持っていた絵本では柔らかな黄色のスープだったのでおそらくコーンスープであろうか??






井上靖先生の小説や随筆の中にもスープが出てくる。



『夏草冬濤』の中で主人公・洪作たちが良家の子息・磯村に夕食に招かれる。


洋食など食べたこともない少年たちは、


「スープは濃いスープにしますか、うすいスープにしますか」


と聞かれてドギマギする。


バルザックの小説で得たフランス料理の知識を駆使(?)して初めての洋食にありつこうとする少年たちの駆け引きが可笑しい。




『北の海』ではもう少し進んでいて、コンソメとポタージュという言葉が出てくる。


しかしここでも少年たちは実際にはスープについての明確なイメージはなく、


上野の精養軒のダンスパーティーのことを芥川(龍之介)が書いているから、そこへ行けばいろんなスープメニューがあるだろう


というあくまでもイメージ先行の少年たちの初々しさが微笑ましい。




『幼き日のこと』の中の『患い』という随筆には、腺病質だった井上少年のために用意された病人食の中にスープのことが出てくる。


メニューはいつも決まっていて、


お粥、梅干、いり卵、鰹節の削ったの、鶏のスープ、とある。


しかし当時の言葉では、


お粥さん、すっぱいすっぱい梅干、おいり、おかか、ソップ。



血は繋がっていなくても限りない愛情をそそいだ「おかのお婆さん」(小説ではおぬい婆さん)の心配顔が想像出来てしまうような・・。








そしてもうひとつ。



『石のスープ』というお話。





私がこのお話を読んだのはたしかジャポニカの本だったと思うのだが、童話やら外国の生活のことやら、深海の冒険話やら・・・。



いろいろなお話がごった煮のようにぶち込まれた全集の中にあったのだと記憶している。



お腹を空かせた旅の老人が一軒の民家に立ち寄る。


何か食べ物が欲しいのだがその家の人はドケチなので何も恵んでくれない。


そこで老人は「鍋と水を貸してほしい」と頼む。


何だろうと思いつつもドケチは言われたとおりに鍋と水を用意する。


老人は一個の石を取り出し、


「これは魔法の石で、水の中に入れて煮出すとそれはそれはおいしいスープが出来るのだ」


と説明する。



鍋に石を入れ煮出す老人。


ひと口味見して、


「うむ、これでもいいのだが、ここに塩を入れるともっといい味になる」


とつぶやく。



興味津々のドケチは、


(塩ぐらいならば・・・)


と、塩を用意する。



しばらくしてまた味見をして、


「うむ、これでもいいのだが、ここに小麦を入れるともっといい味になる」


とつぶやく。



そしてドケチは小麦を用意する。


(あれ?大麦だったかな?まぁ、いいや)



で、老人は味見をするたびに、


「蕪があったら」


とか、


「骨付き肉があったら」


とかつぶやくのである。




魔法の石のスープが飲んでみたくてたまらないドケチはその都度言われた材料を用意するのだ。



で。



いろいろな材料が混然となったスープが出来上がり、老人とドケチは一緒にそれを飲む。



その美味しさに驚いたドケチは、


「ぜひその魔法の石を私に譲ってください」


と老人に頼むのである。



なんのことはない。


石はただの石っころである。


いろいろな材料を煮込んだから美味しくなっただけである。



今ならこの童話の意味も分かるが、当時は本当においしいスープの出来る魔法の石がこの世のどこかに存在するのだ、とワクワクしたものだ。


コロッと騙されたドケチと何ら変わることはない。


騙されやすいバカチビなーご。




ああ。


あのジャポニカの全集。


あれも隣の子にあげちゃったんだよな・・・。



背表紙の色が一巻一巻違っていて、ズラリと並べると虹の七色のようだった。


どこかに古本売ってないかなぁ・・・(ため息)。



マシュマロをキャンプの火であぶって食べることとか、アメリカの子供のお誕生日にはティファニーブルーのクリームを塗りたくった大きなケーキを食べることとか・・・。




スープに限らず子供のころ読んだお話はどこか魅力的な「食べ物」ばかりを覚えている。


実際のちびなーごは食べることが苦手だったのに・・・。


お話の中で「お腹イッパイ」になっていたから実際の食事が好きじゃなかったのかな?



よく分かんないけど。





涙とともに飲み込んで人生を味わうのがパンならば・・・。




スープはね。



「幸せ」とともに味わうお料理のような気がするのである。






※「好きなスープ」の話が「スープが出てくる好きなお話」に脱線してしまった・・・あれ??