京都行。
この夏までは月1回であったが・・・。
新しい「縁」をいただいて今は月2回になった。
新しいお稽古ごとについてはまだ手探り状態なので、何をお習いしているかはナイショ。
だってまだ何も分からずにただただ「ひとまねこざる」しているだけだから。
まぁ、「和物」の習い事である、とだけ書いておこうか。
ある日。
お稽古場に伺うと入り口の引き戸に鍵がかかっていた。
「あれ?約束の時間だよね?」
と思いながら呼び鈴を探す。
しかし呼び鈴は見当たらず、仕方なくノックをしてみた。
お返事はない。
先生の携帯に電話をしてみた。
出てくださらない。
ちょっと(かなり)焦るなーご。
(車はあるし、中に先生はいらっしゃるんだよね??)
(もしかしたらご近所までお出かけになっているのかしら???)
どうしようかと途方に暮れていたら中から「ドン!」という音が。
あ。
ちゃんと先生いらっしゃるんだ。
きっとご自分のお稽古をされていてノックや電話に気づいていらっしゃらないのね・・・。
しばらくして。
入り口に人の気配がして、先生が引き戸を開けてくださった。
何のことはない。
4枚の引き戸のうち、私が触らなかった引き戸だけが開くようになっていたのだ。
・・・バカなーご。
先生のお手を煩わせてしまった。
でも・・・。
そうか、先生は私が伺うまで寸暇を惜しんでご自分のお稽古をされているのね・・・。
もし私だったらソワソワして生徒が来るまで落ち着かない時間を過ごすだろう。
いっとき姪に教えていた時にそうだったから。
(彼女はすぐにやめてしまった)
確か同じ日のことだったと思う。
お稽古が終わってから少し先生と世間話をする時間があった。
分からないなりにも何か先生とお話の接点が持ちたかった私は、前日にたまたま見かけた新聞記事の話をした。
それはこの芸道で使うものをある大学の教授が科学的に分析した、というものであった。
すると先生は、
「う~ん。大学の先生たちはお道具の扱い方を知らないから・・・」
「本当は困るんですよね」
と、やんわりと、しかしきっぱりとおっしゃった。
ああ。
この方はご自分の歩まれている「道」をとっても愛していらっしゃるんだなぁ。
こういう方にお習いできるのはやはり「有り難い」ことなんだ。
話の糸口を見つける為とはいえ、賢しらなことを申し上げてしまった自分が恥ずかしかった。
名古屋の先生と言い、I宗匠と言い、こちらの先生と言い・・・。
私は本当に恵まれている。
それぞれの先生の「菩薩」によって毎度毎度「済度」されている私。
いつか誰かの「菩薩」になれたらいいな、とも思うのだが、なにせ万年ひよこの生徒体質なのでそんな日がくるのかどうか・・・。
まあ、縁というものはどこでどうなるかは分からないので、それぞれの先生からいただいたものをしっかりと自分の中に修め、一歩ずつ進んでいきたい、と思う。
※新幹線代、キツイ。
エクスプレス予約を検討中。
しかし私、ケータイは通話とメールしかできないのだ。
だから携帯電話からはブログにもアクセスしない。
いちばん安い料金をとるか。
ケータイの扱いでイライラするか。
悩ましいところである・・・。
(スマホなんてとんでもないわ!!!)