伝統について考えてみる。 | 雨の降る日も晴れた日も

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日々の感じた事を綴ります。

一昨日のことだけど。


橋下大阪市長と文楽協会が意見交換して、とりあえず条件付きで補助金の予算執行はされることになったようである。


両者の対立。
なかなか「落としどころ」はないとみた。



確かに税金を投入する以上、経費と生活費は分けなくてはならない。

でも。

たった3900万円ぽっちでなにができるというんだろう?


私は文楽はよく知らないので文楽協会のHPを見てみた。


「太夫」「三味線」「人形(遣い)」の各技芸員さんが載っていたので人数を数えてみた。

数え間違いがなければ総勢82名。



単純に割り算してみた。

39,000,000円÷82名=475,609円

年間一人当たり480,000円弱。


月に40,000円弱である。


これを「高い」とみるか「安い」とみるか。


それは人それぞれの「お金」に対する感性なのでなんとも言えない。



私?


んー。

私は「安い」と思いますね。


文楽を演じたり習ったりするのにどれぐらいの費用が掛かるのかは分からないけれど。





私は「お茶」を習っているので、そちら側からちょっと「伝統」について考えてみたいと思う。



茶の湯。

利休さんの死から420年。

ま、その前には村田珠光や武野紹鴎がいたけれど、とりあえず利休さんからということで。


この420年の間、その精神と作法をずっと伝え続けてきた。

大名家の庇護や町人への茶の湯の浸透などで隆盛をみた時代もあったが、明治維新を経て大名の庇護が受けられなくなり没落寸前のお家もあったとか。

(あらま、ここでも『維新』が邪魔してるのね)


それでも各茶家は次の時代に伝えるために、伝統の灯を絶やさないためにそれを乗り越えてきた。


ただ「食べていく」だけならばべつに他の職業に鞍替えしたっていいのである。

しかし「伝統」というものを背負ってしまった者・触れてしまった者にとってはそう簡単にはいかない。

それは別に血統によるものだけでなく。



先人たちの築き上げた有形・無形の宝物。

それが伝統文化である。



確かにね。

いわゆる「日本文化」ってお金がかかることも事実なんだよね。

私なんかワープアだから、それこそ他をケチってお茶のお稽古をしているところもあったり。

もちろん根っからの「お金持ち」がウジャウジャいらっしゃる世界でもあります。



私も「お嬢さま」じゃないから、最初は「お金かかるなぁ」と思ったりもした。

でもお月謝では賄いきれない、先生の有形・無形の「心づくし」っていうのかなぁ。

そういうものが分かってしまうとただ単に「高い」とは思えなくなってしまうのである。


私みたいな万年ひよこにも分かるようにお稽古をつけてくださるために、お道具を揃え、時間を割いて、お茶・お菓子・炭などの消耗品を用意し(水屋料っていうね)、なによりも惜しみなく「知識」を授けてくださる。

その「知識」を得るために、また先生もその先生にお月謝を払い・・・(利休さんまでエンドレス)


ね。

伝統ってそういうことだとも思うんだ。

「お金」と「伝統」ってあまり並列に語りたくないけれど、現実はそうなんだもん。




それとも日本文化だけは趣味的なボランティア的な立ち位置じゃなきゃ許せないのかな?市長さんは。


「新作をもっと上演しろ」

っておっしゃるけれど、自分の理解力の無さをそんな方向にスライドさせるのって間違ってるような気がする。

分からないなら分からないでもいい。

でもせめて「文化」というものに対して素直に頭を垂れることはできないんだろうか?


いちばんいいのは、市長さんが実際に義太夫唄って、三味線弾いてみて、人形を操ってみること。

それがどれだけ大変なことなのかよく分かるから。


それに文楽に限らずこの国の政治家さんたちは外国から賓客がいらっしゃると必ず「日本の伝統文化」に頼ってるじゃない。

あまり「AKB48を見せました」って話は聞かないような気がするけど。

(あ、かつて沖縄サミットの時に安室さんが歌ったことはあったね)


目の敵にするのもほどほどにお願いします、ね。



※それにしても三味線技芸員の豊澤龍爾さん。ハンサムねぇ。
  「女子」のみなさん。
   この方を見に行くだけでも「文楽」って価値ありそうですわよん。