渡岸寺の十一面観音。
付きっきりで説明してくださったお寺の方の言葉が耳に残る。
「今日、この時間にこうしてお参りできるのはとても幸せなことですよ」
「こうしている瞬間にも苦しんでいる人が世の中にはたくさんいるはずです」
「十一面観音様のお慈悲に感謝してくださいね」
あ。
こんな感じのフレーズ、前にも聞いたとことがある。
京都のお稽古場の和尚様。
まだこのお寺でお稽古できるなんて思ってもみなかった頃。
ある催しに参加して初めて和尚様にお目にかかった。
お茶をいただきながら、御法話を拝聴。
「今日、みなさんがここへ集まったこと」
「それはみなさんの『力』だけでは出来なかったことや」
「主催してくださったAさん、送り出してくれた家族、いろんな人のお力をいただいてこうして集っているんやで」
「いただいた御縁に感謝して、よい思い出を持って帰ってほしい」
「そしてまずは帰ったら家族に感謝の言葉を伝えてください」
「今日こうして集えたことは奇跡のような幸せなこと」
こうしたお話を伺った覚えがある。
そう。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、とても腑におちる言葉。
私一人では何も出来ない。
支えられてやっと立っている。
それはとても幸せなこと。
でも苦しい境遇の中でもがいている人もいる。
幸不幸は気の持ちよう、なんて言葉が嘘くさく吹っ飛ぶような苦しみだって、ある。
何もできない。
せめて、祈ることしか。
誰かのために祈る。
お返しに祈ってもらえれば、それはとてもうれしいこと。
でも・・・。
彼が、彼女が私ではない他の誰かの幸せを祈る。
それってきっと、もっと素敵なことなんだ。
そして今日も私は祈り続ける。
だってお祈りは「タダ」だもん♪
たそがれがカーテンをおろし
星のピンでとめるとき
心にとめよ、汝に友ありと
いかばかり道はるけくとも
『赤毛のアン』ジュリア・ベルの詩より
たそがれ少し前の空。