「嫌い」
と、言ってしまうには少々なんであるが、苦手とする言葉。
誰しも一つや二つあることだろう。
私の苦手な言葉。
「自分へのご褒美」
褒美とは他者からもらうものである、という認識なので、この「自分へのご褒美」にはとっても違和感。
プロフィールの質問項目にもあるけれど、結局欲しいものをそういう言葉に置き換えているのではないか、と。
もちろん「ご褒美」が「物」であるとは限らないが、とりあえず「物」を指しているとして。
じゃあ欲しいものはないのか?と聞かれたら、それは「ある」、もちろん。
欲しいもの、したいこと、行きたい場所。
「物欲女王」といっても過言ではない、かもしれない。
(ヤな『女王』だね)
(ドケチな上に何をするにも『糸目』だらけなのでその物欲が満たされることはない、なかなか)
でもそれは単に「欲しいもの」であって、「自分へのご褒美」ではないのだな、私の場合。
「ご褒美」の対義語は「大目玉」であるとか。
では「自分にご褒美」をあげちゃう人って、きちんと「自分に大目玉」も食らわせているのだろうか?
良いことをしたり、頑張ったりすると褒められ、時には「ご褒美」がいただけたり。
その逆に悪いことをしたり、怠けたりすると「大目玉」を食らう。
他者からもらう「これら」は分かるんだけど・・・。
よっぽど自分に厳しい人じゃないと、自分に「ご褒美」と「大目玉」は公平に与えられないんじゃないだろうか。
大概、「ご褒美」>「大目玉」だよね。
もしかすると「大目玉」無し、って人もいたりして。
だったら「欲しいものは欲しい」でいいんじゃないかな、と思ってしまう私。
小うるさいこと書いてるな~、と自分でも思うのだが・・・。
でも、書いちゃった♪
「へそ曲がり」なんですよ、なーごは。
お中元の季節。
最近では「自分にお中元」を贈る人もいるとか。
「お中元」
日頃お世話になっている人に物を贈る行為、またはその品物。
う~~~~ん。
よく分からん。
どんどん世間の(今様の)常識から取り残されていく私。
まぁ「自分にご褒美」も「自分にお中元」も経済活動の一環であるから、どんどん贈っちゃってください。
(駄)
大目玉・・・。
お年玉・・・。
そのうち「自分にお年玉」っていう言葉も出てくるのだろうか?
う~~~~ん、ますます分からん。
はっ!
もしかしてもうあったりして「自分にお年玉」!
(駄その2)
「自分さがし」、「感動を与えるような○○がしたい」
「おやりになる」等々。
これらも苦手な言葉である。
はい。
すみません。
勝手なこと言ってます、私。
これらの「言葉」が好きな人。
ごめんなさい。