いつもありがとうございます。

今日は、久しぶりに
雨宮萌果物語をお届けします。

ちなみに、だいぶ日が空いたので
ご説明いたしますと

雨宮萌果物語は、6月から不定期で
私がどのような人生を送ってきたかをご紹介しているものです。

ブログテーマ別に記載されていますので
ぜひ、過去記事もご笑覧下さいませ。


今回は、27歳の私をご紹介させて頂きます。

さて、この雨宮萌果物語を
過去からご覧になっている方は、
お気づきかもしれませんが…

私、実は、7年のサイクルで
数々の試練と向き合っております。


6歳 小学校受験 失敗
13歳 親の離婚
20歳 長い浪人時代 

そして、27歳の壁がやってきます。  


結論から申し上げます…

27歳のとき、
私は、イップスになってしまいました。

イップスとは、
精神的な原因などにより動作に支障をきたし、
突然自分の思い通りのプレー(動き)や意識が出来なくなる症状のことです。


主に、スポーツ選手がよくなるものですが
アナウンサーや歌手など、声を使う職業の人も
該当するみたいです。

今日は、その話について記そうと思います。

このことを書くのは、
かなりためらったのですが、
悩んでいる人のために、
少しでも参考になればと思い、
カミングアウトします。



2013年、
1年10ヶ月の沖縄局の勤務を経て
福岡局の異動辞令が出されました。

福岡は、大きな拠点局。
伸び伸びさせてもらった沖縄局とは
打って変わって全く違う雰囲気でした。

大勢の真面目すぎるほどの職員ばかり。
私は、新しい環境に勝手に萎縮していました。

作りあげたプレッシャーとストレスが
静かに私を蝕んでいきます。

異動してすぐのことです。

普段は、声が出るのに
ちゃんとしなきゃいけない、頑張んなきゃ
頑張んなきゃと思えば思うほど

ニュースを読む際、
声の出し方が途端に分からなくなりました。

その上、まだまだ実力不足ということもあり
技術も備わっていません。


パフォーマンスとしては、最悪です。


案の定、視聴者からのクレームや
「故郷へ帰れ」という手紙。
それと、ネットの誹謗中傷の書き込み。

私は、かなり落ち込みました。
周りも、腫れ物を扱うような接し方をしてきます。


練習を毎日しても、
先輩に指導してもらってもなかなか治りません。

都内の専門の耳鼻咽喉科に行っても
原因不明。

私は、苦しくてたまりませんでした。

本当に、闇の中に入っていった感じです。
しかも、そのトンネルから抜けるまで、
かなり時間を要しました。

時には、鬱になりそうになるほど
自己嫌悪に陥りました。

時には、当時の上司から
「アナウンサーを辞めて、違う職種にすれば?」と、辞める意思表示をしていないのに
心ない言葉を投げられました。

悔しくて、どうしようもなくて、
ただひたすら、自分の不出来と向き合う日々が
2年半続きました。


しかし、 
番組をしっかり伝えるアナウンサーになれるまであきらめるもんか!何くそ!と
心の闘志だけは、常に燃やし続けていました。

その間、どんなに落ち込んでも
人のニュースやナレーションを沢山聞き、
自分の声と比較検証し、研究し、

これは、成長に必要なこと。
「声の成長期なんだ。」

そう信じて、自分を声を育て愛し続けました。



幸いなことに今は、
イップスから完全に抜けていますが
イップスに苦しんでる方も
沢山いらっしゃると思います。

あのイチロー選手でさえ、高校時代からプロになる数年は、イップスで辛い思いをされていたそうです。

イップスの治し方は、人それぞれだと思いますが
私の場合、職場環境が変わってから治りました。
職場環境は精神衛生上、かなり大切です。


入社3年目、辛い時代の幕開けでしたが、
福岡の街や九州自体は大好きでした。

九州各県の様々な場所に行きリポートしたり、
普段出来ないようなことを経験させてもらった
素晴らしい時間を過ごしたのも事実。

本当に、悲喜こもごも味わい深かったです。
   
                雨宮萌果