東京は、なかなか肌寒い海の日ですね🏖

さて、
ブログをご覧の皆さまに、私の今までを
お届けしている「雨宮萌果 物語」。

ありがたいことに、
現段階で、22歳まで綴らせて頂いております🙏


今日は
私の就職活動時代をご紹介します。



大学時代、私は二浪したことに
だいぶコンプレックスを持ち生きてきました。


当時、周りの同級生から、冗談混じりに
「おい!二浪!」とか「ババァ」とか
言われましたが、

私は、ただ、ヘラヘラ笑うことしかできず

でも、
内心どこか、ザクザク斬り付けられるような
胸の痛みを感じていました。


当然、自信をなくし、所詮自分なんて…
とすっかり弱腰。

大学3年生の頃に、マスコミ講座を受けたときも

アナウンサー志望だった同級生に
「二浪でアナウンサーは無理だよな。
まず、採用はないでしょ〜」と、
(今となっては、根拠のない言葉を)言われ

幼い頃の夢だったアナウンサーは、そっと
胸の内にしまいました。

それでも、テレビには携わりたい。

面白い番組を作りたい!

自分は、テレビが大好きだ!と思い続け

大学3年生に、
テレビディレクターを目指すことを決意します。

そこからTV局の制作者に話を聞きに行ったり

夏には、インターンシップで
テレビ朝日の「アメトーーク!」の現場で
10日間働かせてもらったり

通っていた情報番組のアルバイトも、
貴重な学び場で、

様々な角度から、
テレビの現場のノウハウを
学ばさせて頂きました。


とくに、NHKのバラエティや青少年番組、科学番組が大好きで、入るならNHKの制作がいいなと
強く思い、合同説明会やOB訪問に、熱心に
足を運んでいました。


当時は、就職氷河期の最後とも言われ、
周りは、何十社も、エントリーする中

テレビが好きだった私は、
キー局のディレクター職と
番組制作会社を2社ほどに応募。

とにかく、テレビ制作に標準を合わせて
就活をしていました。

日々、コンプレックスまみれで
時代の雰囲気に飲み込まれそうになった時

就職氷河期なんて、
熱い気持ちで溶かしてしまえ!」と
背中を押してくれた母や

あるキー局のディレクター職の面接が
終わった後
「雨宮さん、もっと自信を持ったほうがいいよ」と勇気づけてくれた、他大学の学生さんの言葉は
不思議と力となりました。


必死になって、テレビを見まくり、
必死になって、面接やエントリーシートの対策をしていました。

秋になると、面接もいよいよ本格的に始まり
とにかくテレビの世界に入りたいと強く願っていました。



(当時の就活ノートやエントリーシート)


そう、私は
3年生の晩秋まで、
アナウンサー職を全く受けずにいたのです。



でも、心のどこかで…


本当に、後悔しないか

本当に、これでいいのか

と、自分自身が問いかけてきました。



なんだかんだ自分のコンプレックスを
人のせいにして、自分で呪いをかけ、
自分で動けなくしているのではないか…


でも、全く勇気もなく、
アナウンサー対策もしてこなかった私。


そんな私が、どうやってNHKアナウンサーに
舵を切っていったのか。


それは、

次回の24歳の雨宮萌果 物語で
お伝えしようと思います。
         
                            雨宮萌果